古田晁記念館資料集 7

 古田晁さんにあてられた深瀬基寛さんの書簡は残っているのに、深瀬さんにあてら
れた古田書簡が残っていないのは残念であります。
 深瀬さんと唐木順三さんについては、筑摩から往復書簡集がでているとわけですか
ら、深瀬さんのところに古田書簡が残ってもいいはずと編集にあたった晒名さんは、
思ってさがしたのでしょうけど、これはでてこなかったとなります。
 どちらに関わらず、残していた方が亡くなったりしたときには、散逸するというこ
とはさけられそうもありません。
 古田さんから唐木順三さんにあてられた手紙のなかに、深瀬さんの七回忌命日のた
めに京都を訪問したときの報告があります。
 このなかに次のようにありです。
「 六年前のあの日(昭和41年8月)はめっぽう暑かったですね。今年は朝から雨が
ショボショボ降って、京都の暑さがちっとも感じられないのです。
奥さんの変わったのには驚きました。お顔がおだやかになり、いく分若がえったよう
にも見うけられました。・・・現在の奥さんの頭の中か心の中にある深セ基寛。これ
は人間としても男性としても理想像のように見うけられました。
 なぜ六年ポッチの年月でこのようなことになるのか。女性のあるいは人間のどうに
もならない、切ないところを見るおもいでした。又はこの自然の変化で人間は救われ
るのでせうか。
 とにかく、よかった、よかったと思い、先生も微苦笑しているにちがいないと思っ
て京都を発ちました。・・・・
 貴方が心配なさっていた深セ先生所蔵の書画のこと、こちらで勿論聞くわけでもな
いのに、奥さんが、何一つ失わずに大切にしまってあるとのことでした。誰か忠告し
たのかもしれませんね。」 
 七回忌に京都をたずね、かって古田さんにバケツで水をかけたという伝説のある
深瀬夫人とともに墓参をするのですが、古田さんも驚くほど深瀬夫人は変わってい
て、これならば書簡が残っていても不思議ではないのですが、かわるまえであれば、
処分されていて当然ということでしょうか。