写真編集者 7

 西井さんによりますと、山岸章二さんは1950年代後半には「カメラ毎日」の編集部に
在籍していたとのことです。
 先日に「山岸章二という人の凄さを認識したひとつのエピソード」というのは、今は
ニューヨークで活躍している小原健という写真家の「真っ黒で、ぱっと見には、何も
写っていない作品を、即断で『カメラ毎日』に載せた。」ことだそうです。
山岸さんにいわせると「実は何も写ってないと見るやつは写真を良く見てない」となり
ます。「そこには、一本の白い糸が写っていた。」とあるのですが、この写真が「カメ
ラ毎日」に掲載されたとき、その「白い糸」ははっきりと識別されたのでしょうか。
 山岸さんは、ずいぶんと思い切ったことをする編集者であります。
「63年以来、本来デスクが握る台割の権限を実質握ってきたため、彼が長い間編集長
だったと思っている向きもあったと思うが、山岸が編集長となったのは76年から78年の
ほぼ二年間だけで、副編集長=デスクだったのも72年からのことだ。」
 ほとんどあり得ないことでありますが、山岸さんが思いきった若手の登用をやってい
たのは、平部員の時でありました。いうことをきかない扱いにくい平社員であったので
しょう。
 特にあり得ないのは、次のような企画であります。
「65年、大事件が起きる。立木義浩の『舌出し天使』だ。これは正規の雑誌のいわば
付録として写真集が勝手に加えられた冊子で(目次には『舌出し天使』は確かに『付
録』と記されている。)、一つの作品だけで56ページという当時考えられぬ長いページ
を取った作品だった。写真が立木、詩=寺山修司、解説=草森紳一、構成=和田誠とい
う豪華メンバーがかかわった企画で、この企画自体が編集部の会議を経ていない極秘
プランとして構想され、懇意の制作部員だけが知っていて、編集長も知らぬ極秘作戦で
進められた。メンバーは夕刻、フェアモントホテルの一室に集まり、内々に仕事を進め
た。」
 立木、寺山、草森、和田というメンバーを集めるだけでもすごいことですが、これ
がアングラ企画というのですから、編集長だけでなく、出版局のえらいさんたちの皆
がこけにされたと思ったでしょう。
 しかし勝てば官軍でありますね。
「「当時ただの平部員だった山岸は、工程を勝手に変更した自分の企画が不評だった
場合も考えて、編集過程から懐に辞表を忍ばせての一月だった。この『舌だし天使』
は幸い好評だった。・・・・この後、一人の作家を代表する一つの長い作品で紹介す
る手法として定着することになり、編集者・山岸章二の名は、度胸だけでなく、目利
きとして、鳴り響くことになる。」
 このことから山岸天皇と呼ばれるようになるのであります。