写真編集者 4

 西井さんは、写真編集者を育てる「写真エディタースクール」が必要といっています。
もちろん、これはいまも実現してはいないはずであります。
西井さんは、毎日新聞社にはいって雑誌編集部に配属となり、山岸さんの近くにいたこ
とから、山岸さんに目をかけられたと記しています。
「私が山岸さんに会ったのは1970年の暮れでしたが、そのころの山岸さんはもうロマン
スグレーの比較的カッコイイおじさんという感じでした。彼も私も所属していたのが、
新聞社で、彼が『カメラ毎日』で、私が『毎日グラフ』にいたんです。しかも、その
二つの編集部は、たまたま隣にあって、私の席のほぼ真後ろが山岸さんの席でした。
だから、私の担当した頁を彼も見ていて、他の担当者と違う印象を持ったと思います。
それで、私をなんらかのかたちで『カメラ毎日』にひきずりこみたいという意図が
働いて、それで私に近づいてきたと思います。」
 1970年頃の話であります。デジタルなんて言葉はほとんど耳にすることがありません
でした。その時代に新聞社の出版部の雰囲気といえば、映画「マイバックページ」で
再現されていたように思います。この映画の主人公は新聞社の週刊誌記者であったわけ
で、あの室内には、週刊誌、グラフ雑誌、カメラ雑誌などの編集部の人たちがともに
仕事をしていたのでありましょう。
 会社こそ、朝日新聞毎日新聞と違うのでありますが、この西井さんの文章を見て、
思い浮かべたのは、「マイバックページ」のシーンでありました。川本三郎さんは、
1944年でありますから、西井さんとは年齢が近いのでした。