写真編集者 3

 昨日に引用させていただきましたが、「1970年前後から、カメラ毎日は、積極的
に若手の作品を掲載し始めた。1968年6月号は「現代の写真」特集で、若い写真家
たちに共通する日常へのまなざしを「コンポラ写真」として提示し、70年代の写真
表現を決定付けた。」のであります。
 1968年に当方は高校生でありましたが、このころ「朝日ジャーナル」を手にしていた
ように思いますが、「カメラ毎日」がスポットをあてた若手の写真家たちは、この雑誌
に登場してきたのであります。森山大道さんの写真を見たのは、カメラ雑誌ではなく
朝日ジャーナル」でしょう。たぶん。
 こうした時代の写真を見て、それに触発され「カメラ毎日」手にするということは
残念ながらありませんでした。
 西井一夫さんの著書は、「山岸章二へのオマージュ」とありますからして、「天皇
と呼ばれた編集者の人となりを伝えるために、死の床にあった西井さんが取り組まれた
ものです。
 この本の「あとがき」は、2001年10月16日という日付が記されていますが、西井さ
んが亡くなったのは、このひと月後11月25日のことでありまして、これを書いた場所
は、「東京衛生病院 ホスピス病棟216号室」とありました。
 あとがきを話題にするまえに、「まえがき」からであります。
「写真編集者・山岸章二が亡くなって以降、日本にはほとんど写真編集者と言える人が
いなくなった。編集者はいるけど、写真のことがわかって写真のことも含めて編集でき
るという人が皆無になってしまった感がある。最近のいろんな雑誌のグラビアなんかを
見ても玉石混淆で写真をわかっていないということがよくわかる。編集者というより、
写真を伝える人間がいなくなったという感じだ。これは写真家にとっても不幸なことだ。
たとえば、なんでこの写真を見開きにしないのか、これがなんでこんな小さい扱いを
受けなきゃならない写真なのか理解に苦しむことが多い。」
 この文章が書かれたのは、2001年のことでしょうが、それから13年ほど経過して、
写真を展示するミュージアムは増えましたが、「写真編集者」という人はどのような
状況なのでありましょう。