返却の旅 2

 戦後まもない1949年に途方もないプロジェクトが発足しました。網野さんによります
と、次のような趣旨のものです。
「漁業制度改革を内実あらしめるため、という名目で、全国各地の漁村の古文書を借用、
寄贈などの方法で蒐集、整理、刊行する仕事を推進し、本格的な資料館、文書館を設立
してそれを永続的なものにしようとする。」
 これのための第一歩として、5年間を第一期として具体的な動きがはじまったわけで
す。
水産庁は十人以上の常勤研究員・職員の給与、全国各地に研究員が調査に行く旅費、
文書を筆写するためのアルバイト費等をまかないうる、当時としては驚くべき巨額な予算
を計上し、この事業を日本常民研究所に委託した。」
 いまであれば、お役所の天下り外郭団体などが受託しそうな事業ですが、これを受けた
のは「日本常民文化研究所」でありました。
 この研究所は、梁山泊のようなところがあったようです。網野善彦さんも左翼の活動家
でありましたが、水産庁の受託調査のチーフは宇野脩平という方でありますが、この方に
代表されるような経歴の人が「日本常民文化研究所」には数多くいらしたのでしょうか。
 網野さんは、宇野脩平さんの経歴を次のように書いています。
「戦前、左翼運動のために一高を追放、投獄され、釈放後、東洋大学を卒業、研究所に
入り、招集され、敗戦後、シベリアに抑留、1947年に帰還して研究所に復帰した宇野脩
平氏ソ連のアルヒーフ(文書館)を目標としたこの事業は、まさしく当時、36歳の宇野
氏の抱いた壮大な夢」
 36歳であるのに、これだけの紆余曲折であります。
 この宇野さんがエネルギッシュな行動力で、日本の漁村に残る古文書を国家事業である
といって借りてまわったわけであります。それこそ集まるわ集まるわですが、問題は
集めることではなく、それを整理することにあったわけです。ふと、考えると、これを
整理するためには、とてつもない時間がかかるということに思いあたります。