昨日に紹介した大島幹雄さんの「満州浪漫」というのは、かっての満州国で刊行され
ていた雑誌名でもあります。満州の文学状況について書いているものは、そんなには
ないかと思われますが、比較的容易に入手できるものに、次のものがありました。
- 作者: 尾崎秀樹
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1991/06/14
- メディア: 新書
- 購入: 1人 クリック: 5回
- この商品を含むブログ (1件) を見る
本のあとがきに次のように書いています。
「私は十五年戦争を、日本の近代化が生んだ一つの帰結としてとらえたかった。日本と
中国ののっぴきならない関係が、『決戦』の段階でどういう現われ方をしたか、その
種々相を、考えられるいくつかの場合を想定して把握してみたいと思った。それがこれ
からの日本を アジアにおける日本を理解するために、どうしても欠くことができない
順序だと考えたのだ。
日本とアジアの関係を侵略した国と侵略された国に図式的に分けて問題をひきだすこ
とでは、すこしもこれからの日本人の課題ははたされない。植民地で生まれ、植民地で
育ち、十二月八日も、八月十日も、ともに植民地で体験した私にとって、それはいわば
体験の声とでもいったものなのである。」
尾崎秀樹さんは、台湾うまれの台湾育ちでありました。日本で暮らすことになったの
は、日本が十五年戦争に敗れたことによってのようです。こういう方が、自分の体験を
もとにして植民地文学についての著作をあらわしたのであります。
この本でも占領下の台湾文学について多くのページがさかれています。
それはさて、この「近代文学の傷痕」に登場する「満州浪漫」のくだりであります。
「現在みる満州文学は、抑々は、いまも奉天から刊行されている『作文』という同人
雑誌がその口火を点けたものである・・この同人と、のちに新京からでた『満州浪漫』
の同人とが今日の満州文学を築きあげたのだ。『満州浪漫』の同人は、建国と共に国都
新京に集ってきた若き知識人たちである。即ち、やがて建国の基礎が固まると、『満州
浪漫』の同人たちが、いずれも政府や新聞社や映画会社などの第一線に立って活躍して
いた連中だったので、政府の文化関係の役人たちと語り在来の満州文話会なるものを
強化した。」
これは尾崎秀樹さんが著作に引用している文章の再引用ですが、これは浅見淵さんに
よるものです。