平凡社つながり 5

 平凡社のつわものたちとは、大沢さんのほうが近しかったのかもしれません。
大沢さんの著書には、次のようにあります。
「昭和三十年代の初め頃までは、戦前の名残で、左右両翼の錚々たるひとたちが
平凡社で働いていた。共産党系では松本正雄、岡本潤、荒川実蔵氏ら、わたしが担当
した『哲学事典』の原稿整理をされた石原辰郎、本間唯一氏も戦前の唯物論研究会の
メンバーだった。アナキズム系はさきほどの近藤氏、国家主義では神永文三氏など、
いずれも歴史の風雪を凌いだ、ひとくせもふたくせもある面構えの人たちであった。
 そのほとんどは校正マンで、まだ冷房など入っていなかった夏の社屋では、皆ねじ
り鉢巻にステテコ姿、なかには一升ビンをでんと机の上におく豪傑もいた。こうして
朝から晩まで首ふり運動を続けたのである。」
 こうしたさむらいたちは、校正部門にいたのですね。そういえば、若き日の渋沢
龍彦さん(矢川澄子さんも一緒に)は、岩波書店の校正を担当していました。社員で
はなかったのですが、会社につめて校正を担当していたというのを見たことがあり
ます。
 校正ではなく百科事典の進行管理を担当していたのが、アナキズム系の近藤憲二さ
んであります。この人は大物ですよね。
 またまた大沢さんの著作からの引用です。
「百科事典の編集のかなめで、部員から一番けむたがれる進行を担当した近藤憲二氏。
古武士の風格があり、かっては大杉栄の『片腕』として鳴らし、大杉の死後、『大杉
栄全集』を編集して、遺児の生活を支えた人情家だが、『世界大百科』の進行には
ほとほど手を焼いていたようだ。・・酒もたばこもやらず、真面目さを絵にかいた
ような近藤氏には、一部の担当者の斜に構えた態度が腹にすえかねたようだ。・・
わたしは近藤氏とは特別に親しくさせていただいていたので、何度かこういう愚痴を
聞かされた。」
 この近藤憲二さんは、小林祥一郎さんにとっても特別な存在であるようです。
こんどは、小林祥一郎さんの著書からです。
「ある日、新宿駅の雑踏のなかを歩いていると、秋山清さんから呼びとめられた。
わたしはこのアナキスト詩人の戦争中の詩が好きだった。・・
 秋山さんが声をかけたのは、平凡社が百科事典の編集者を募集していることを教え
るためだった。わたしも新聞で見ていて、編集長が林達夫というのに惹かれ、申しこ
んでみようかと思っているというと、『ならすぐいっしょにいこう。ちょっと知った
人が、あの会社にいるんだ』とさそった。わたしは半信半疑だった。・・・
 秋山さんが引き合わせてくれたのは近藤憲二さんだった。」