小沢信男著作 143

 小沢信男さんの「東京の池」に戻って、「将軍池と加藤山」にある将軍死亡のくだり
であります。
「 昭和十二年(1937)二月、象徴は松沢病院内で死ぬ。享年八十七歳、死因は癌。
当時私は小学生であったが、蘆腹将軍といえば日本中の子供たちでさえ知っていた。
このときの斎藤茂吉の歌がある。
 朝刊の新聞をみてあわただしく蘆原金次郎を悲しむ一時
 入れかわり立ちかわりつつ諸人は誇大妄想をなぐさみにけり

 さて、そこで池にもどるが、この池と島を「将軍池」「加藤山」とは、誰言うとなく
いつしかついた名だという。それこそ自然発生であった。名物患者と名物医員を惜しむ、
おのずからなる人々の心であったろう。」
 東京の池で、当方が紹介するのは、「小沢さんの文学の師匠につながる池」ということ
でありましたので、「将軍池」についてのここまでは、長い前書きのようなものでありま
す。
「 ところでこの池は、だれもがいつでも見られるとは言いにくい。用のない人がぶら
ぶらと立ち入るべきではないであろう。だが、総合病院の現在は、受診するなり見舞う
なり、用のある人もふえている道理だから、その機会に一見されたい。
 私の場合は、畏敬する先輩がここに何年か入院していたので、見舞いのついでに何度か
立ち寄った。先輩に付き添う夫人が、この池のほとりの日々の散歩を心の憩いとしておら
れて、まさしくオアシスなのだった。
 先輩は、ここで死んだ。享年七十七歳。それきりご無沙汰している。
 あの池畔に、また立つことがあるだろうか。」
 今から二十五年ほど前に、当方も小沢さんと同じ目的で、この地を訪れたことがあり
ました。付き添っている夫人とともに池のほとりを散歩しましたが、一緒にいった子供
のことを喜んでくれて、池を背景に写真などを写したのですが、その写真がいまは見つ
かりませんです。古い話です。