和菓子の日 3

 小林信彦さんの「日本橋バビロン」と「和菓子屋の息子」は、ともに自分の生家
である日本橋の老舗和菓子屋店「立花屋」に題材をとった「栄華と没落の叙事詩
であります。「和菓子屋の息子」は、主に家族を軸にしていますが、「日本橋バビ
ロン」は、これに「街の歴史」が重なります。
 「立花屋」が廃業に追い込まれたのは、直接は戦争で店をやかれたことにより
ますが、それより前に、後継者を育てることに失敗したのが大きな原因となって
いるのでしょう。もちろん、最後の当主となって小林信彦さんの父が、大店の主人
としての要件をみたしていなかったということです。
「 私の家は母系家族であるから、<長女>が家を継ぎ、しかるべき婿を貰って、
次の代がなりたつ仕組みになっている。商人が代々つづくのは、そういうことで
ある。
 <長女>は立花屋を継ぐ者として育てられた。」
 商家では、娘が生まれたら万歳であったのかもしれません。商売のセンスのない
息子を跡継ぎとして、失敗した例はあちこちにたくさんあったのでしょう。(相撲
部屋などでも、男子ではなく、娘が部屋の関取である婿をとって、部屋を承継して
いるというのは、いまでも普通にみられることですね。)
 なぜか、このセオリーが崩れたことにより、菓子職人でない当主が誕生するわけ
ですが、その背景には、入り婿で苦労した小林信彦さんの祖父の判断があったと
思われています。
「 自分の代で店を大きくした祖父は、財産を長男に渡したくなった、というのだ。
入り婿になどゆずりたくない。丁度、羽振りのいい米問屋から縁談が持ち込まれた
ので、<長女>を嫁にやってしまった というのである。」
 これが「立花屋」の転機になったと一族ではいわれているとのことです。
「 祖父に悩みがあったとすれば、趣味らしい趣味をもたないことであった。
大旦那の名に恥じることである。趣味を探さねば、とあせったと伝えられる。
  対照的なのは耕一郎・私の父であり、歌舞伎、寄席、西洋の活動写真の事情に
くわしく、謡曲を宝生新に学んでいた。」