百年に一度の

 「百年に一度」というのは、なかなか使う事のできない言葉ではありますが、
PR誌「ちくま」6月号掲載「佐野真一」さんの「テレビ幻魔館」のサブタイトルは、
「百年に一度の大虚報」とありました。百年に一度の大虚報とみて、これはなんの
ことかと思う人は、あまりふだんから週刊誌などをみていないひとでしょうし、
あああれねと思う人は、新聞の週刊誌広告をチェックしているひとでしょう。
 「週刊新潮」が4月に掲載した「こうして『ニセ実行犯』に騙された」という
弁明に関しての文章でのことです。
「 『週刊新潮』は毒ギョーザを売ったのと同じだ。食品会社ならとっくにつぶれて
いる。看板雑誌であの手記を売ったのだから、言い逃れはできない。まずはこんな
長文の釈明よりも編集者らが責任を認めて辞任すべきだった。・・
 『週刊新潮』の謝罪記事は、騙されたと被害者意識を丸出しにして綴られている。
だが、これは口が裂けても言うべきではなかった。『週刊新潮』は『ニセ実行犯』と
共謀して読者を騙したのである。・・・
 これだけの大失態をやりながら、社内処分なしで済むなら、『週刊新潮』は今後、
企業や警察など官僚組織の不祥事に対して、『責任者を厳重処分せよ』などと
エラソーなことは言えなくなるではないか。『処分なし』の決定をしたとき、新潮社は
言論機関失格の烙印を自らの額に印したのである。」
 これは朝日新聞阪神支局を襲撃した実行犯が手記を寄せたという「週刊新潮」の
大スクープが虚報であったことがわかってからのコメントでありますが、佐野さんの
文章にはすこし楽屋話のようなこともかかれていて、興味をひきました。

「 新潮社の幹部から私のところに電話があった。『佐野ちゃんのいうことは耳が
痛いがもっともだ。すぐに謝罪記事を出す』という連絡だった。私としては当然、
次の「週刊新潮』発売日(四月九日)に謝罪記事がでるものとばかり思っていた。
 ところが、それは掲載されず、翌週で謝罪記事を出すという社告が小さく報じ
られただけだった。これは同じ四月九日に発売された『週刊文春』が、『週刊新潮
との”共謀共犯関係”を裏切った島村を起用して『オレは阪神支局襲撃の実行犯じゃ
ない』という記事を載せた反応をみたからだということが、あとでわかった。」

 佐野真一さんは、もともと新潮社とも付き合いの深い作家でありますから、この
コメントはけっこう重たいものがあるように思います。この「ちくま」の文章を
読んだ時には、このあと新潮社はどのような対応をするのか興味があるなという
ものでした。
 数日前に、知人から連絡がありまして、そこれには「今月に届いた新潮社『波』
には、いつもの直販のためのはがきとリーフレットが同封されているが、それは
文芸春秋のPRのもので、出版業界の不況はここまで深刻なのか」とありました。
雑誌の広告は減っていて、書籍も売れないのでありますから、文芸春秋社が「波を
ご愛読の皆様へ」と刷り込んで、「波」の読者向けに同封しても不思議ではありま
せんが、これは大手出版社2社の不況に伴うタッグマッチというよりも、今回の
「大虚報」をめぐるタッグマッチなのではないでしょうか。
 「波」に「文芸春秋」のリーフはこれまでもはいっていたのかも知れませんし、
あくまでも小生の根拠に基づかない想像ではありますが、かって『マルコ・ポーロ』と
いう雑誌の記事をめぐって廃刊とした過去を持つ文芸春秋社のほうが、うたれ強く、
したたかなのかもしれません。