SUREの本 2

京都の小さな編集グループSUREからは、山田稔さんの著作もでています。
「酒はなめるように飲め 酒はいかに飲まれたか」という小冊子を2冊セットに
しているものですが、「酒はなめるように飲め」という北沢恒彦さんの文章が
あって、それに解説をつけるような形での文章が、山田稔さんの「酒はいかに
飲まれたか」というものであります。

 山田稔さんの文章では、つぎのようにあります。
「(北沢恒彦さんの)年譜をながめているうちに、1984年(昭和59年)
50歳の頃のページ下段の著作欄に、『酒はなめるように飲め』(思想の科学
84年7月号)というのが目にとまった。日頃注意散漫な私が他の多くの業績の
なかのその小さな一行を見逃さなかったことに、何かを感じる。徐々に高まって
いた北沢恒彦への関心、というか、彼のまわりに嗅ぎ付けた中井寛吉の気配が、
ここに、この、ほかの人なら見逃したかもしれぬ小さな起債の発見に私を導いた
とでもいうしかない。まるで私がこの書物をひもといたのは、これに出会うため
であったかのように。・・・・
 まもなく届いた10ページ足らずのそのエッセイを、わたしは『なめるように』
でなく一気に読んだ。・・
 以後、読者もまた、ここに併せ収められた『酒はなめるように飲め』を先に
読んでいることを前提として話を進める。私の文章は北沢のエッセイへの、とぎれ
とぎれの記憶にもとづく、いささか冗漫な私的補註にすぎない。」
 戦後まもなく新制高校生となった山田稔さんは、そこで北沢恒彦さんの後輩と
なります。学年がかぶらないせいもあって、互いに面識はないのですが、高校の
生徒部長であった「中井寛吉」先生との交流と思い出が、それぞれの冊子で展開
されるのでありました。