台湾独立運動かな

 ミステリー作品は弱いのですが、それでも探偵小説専門誌「幻影城」のことは、
記憶に残っています。これを購入したことは、たぶんないのですが、この編集長が
島崎博」というかたであったことは頭の片隅に残っています。
 この雑誌が創刊されたのは、74年末とありますので、小生が仕事についたときで
ありました。
本の雑誌」12月号306号は、「『幻影城島崎博さんと神保町で一緒に遊ぼう」
というのがありまして、そこに雑誌「幻影城」が創刊となったいきさつがでている
のでした。もともと、この雑誌は「えろちか」という雑誌を発行していた三崎書房の
社長さんがスポンサーで、その社長の奥さんが発行人となっていたものだそうです。
創刊1年ほどで、このスポンサーとたもとをわかって、「幻影城」は編集長である
島崎博さんが発行人をかねて4年ほど発行したのち、79年7月に休刊となって
会社も倒産となったのでした。
 島崎さんが姿を消してから、島崎さんの大コレクションは債権者の好餌となり
コレクターにわけ取りされるに任されたともあります。金のかかる雑誌の発行人を
していると、このような憂き目をみることがあるのかと、本は作る側にまわるよりも
読む方にいるほうがいいと強く感じるのでありました。

 この島崎さんは、もともと台湾の方であったのですが、留学できた日本で結婚し、
奥さんの姓を名乗っていたとあります。台湾は、戦前は日本の統治下にありました
ので、日本人であることを強制された過去がありますし、大戦後は大陸からのはいって
きた国民党政府によって支配されていましたので、もともとの台湾人には、国民党
支配でない台湾をということで、独立運動がずっと続いていたのでした。
 国民党支配が厳しい時代には、独立運動は押さえ込まれていましたので、むしろ
活動は日本国内のほうが活発であったのかもしれません。
 かってベストセラーを連発していた作家にも、台湾独立運動の活動家がいらして、
その方は、台湾では英雄として遇される(ただし、政府からではない)と聞いた
ことがありました。こうした独立運動については、丸谷才一さんの小説の題材にも
とりあげられたことがありますが、二つの中国というのとは違った、台湾人の
思いを知りました。
 この島崎さんも台湾独立運動にかかわっていたことで、姿を消して台湾に戻って
からも地下にもぐったようになっていたのですが、台湾の政治状況がかわったことで
四半世紀もたって姿をあらわし、 29年ぶりに来日したのだそうです。
 なかなかわかりにくい台湾独立運動でありますが、最近話題となっている以前の
台湾トップのスキャンダルも、このような背景が影響を及ぼしているのでしょうか。