「湯川書房の思い出」4

 これまで、「仙台が親戚」様にいただいた書き込みを編集して掲載する4回目と
なります。 

「 さて追加です、肝心の本忘れています。
 望月通陽さんの「出挨及記」これは染色で描く絵本作家の始まりの記念碑です。
戸田勝久さんが装幀装画した加藤一雄「無名の南画家」挿絵の木版画が戸田さんが
私淑、尊敬する蕪村の画を現代によみがえらせたような絵、見返し、箱、素晴ら
しいです。よほど湯川さん、気に入ったのか、普段本のことなど関係ない、老松町の
ホルンコーヒー店のお客さんまで、勧めていました。ママさんもも買ったはずです。
「無名の南画家」装画の戸田勝久さんは「季刊銀花」でもおなじみの方です。
氏の京案内は実際の経験なのか、紹介されたお店に行き戸田さんのことは「そんな
お人知らしまへんえ」で終わりです。自身を、お店に売り込まない慎みは湯川さんに
通じるところありますね。蕪村の研究家、実作の南画家として、又、少年の日を描き、
郷愁の響きと透明な空間をアクリル画で描く画家として知られています。
以前、湯川さんから、朝日新聞夕刊に詩人の以倉紘平氏が蕪村についてエッセイを書く、
就いては画家を推薦せよと、早速、戸田さんを推薦しましたら、「戸田さんはいいが、
もう立派な画家、高い」と言われ、小生、応援している、新進画家の坪山由起さんに
新聞社に売り込めと激励し、学芸部担当氏をファンにし、後にこの方の本を坪山さんが
装幀するという事もあり、出合いというものは不思議ですね。
 後々まで戸田さんに悪い事したと思っていました。
 最後にやっと三彩社の「無名の南画家」を手に入れ、湯川さんに報告しましたら
「ほんまは日本美術社や」で終わりでした。

(季刊湯川に寄稿している)『有田佐市』さんは実在の人物です。大阪の書店では
知られた人物でした。でしたというのは本が家の中を埋め尽くすのを見て、お嬢様が
『家出する』とかしないとかになり全部処分され引退されました。
氏の美本を求める様はすごく、1冊の本を求めるために。大書店のある本全部調べ上げ、
本と箱を入れ替え、帯を良いものに換え、次の書店で又良いものがあればそれに替え、
帯だけでも代えた人物です。
 小生が、偶然書店でこの検品中を目撃したことありますから間違いはありません。
湯川さんに「手伝ってやって」と転居手伝いをした事がありますが、そのすさまじい
量に驚き、あきれたのは事実です。
 この文は敬意を以て書いた次第です。現在も余生を送って居られると思います。
大阪市北区にあった書肆青泉社のPR誌に初期の湯川書房の自宅を尋ねられた文章が
掲載されて居たように思います。
 書き忘れました、湯川さんは宇佐見英治さんをとても尊敬されていたと思います。
先生は大阪出身、今、大阪というと、もう吉本、タイガース一色、大阪のオバチャン、
この遠慮のない傍若無人の振る舞い、苦々しい思いをしている人多いです。
あれが大阪人かと東京にいる友人も迷惑だと、本来の大阪の人は、確かにおしゃべりで、
突っ込みも常ですが、それで笑わしながら自分を別の眼で見ている自分を見ている人
が多いです。含羞の人宇佐見先生と湯川さん相通ずるものがあったと思っています。」