貸本屋と小説

 小生は、子供の頃から田舎暮らしがながかったせいで、都市に暮らして
いたとしたら、実際に体験することができたかと思うことが、ほとんど
報道やメディアの世界の話でありました。
 団塊の世代のほとんど最後となる小生は、紙芝居やさんというのが、
この世に存在することは知っておりましたが、自分の生活エリアで姿を
見かけることはありませんでした。
同様にして、貸本屋さんというのがあるのは知っていましたが、漫画に
せよ小説にせよ、貸本屋を見かけることも、足を踏み入れることもなしに
今にいたっているのです。
 貸本まんがは、そこから水木しげるさんやさいとうたかをというスターが
登場したことにより、脚光を浴びることになって、貸本まんがが大変な値段で
取引されていたりします。小生が、こうした貸本まんがの現物を手にする
ことができたのは、ずっと後になってからのことでした。
 まんがの場合、貸本という出版形式は、週刊スタイルでまんがが定着する
まで一番メジャーでありましたから、ここからスターがでてきたことには、
なんの不思議もないのでありますが、それと較べるとほとんど忘れられて
いるのが貸本で流通をもっぱらにする小説の世界でありましょう。
 小説の場合は、純文学、大衆小説と両方ともに月刊雑誌があって、それを
もとに単行本が刊行されていましたから、あらためて貸本小説を借りて
読む必要があったのだろうかと思うのですが、「貸本小説」の著者 末永昭二
さんによると「貸本小説は『快楽のための本』つまり『教養にしなくてもよい本』
だということだ。貸本小説からなにか高邁な思想を読みとるのは読者の自由だが、
基本的には、作者も読者も『読んで楽しんで忘れる』ものだと考えていた。
それを読むことによって人間性を高めなければならない、教養にしなければ
ならないという窮屈な考えから解放された読物である。」
 教養主義的なこども時代をすごした小生には、「人間性を高めない読書」と
いうのはありえないのでありました。もちろん、いまはそのようなことは
思ってもいないのでした。