後藤明生さんのおはこは「千円札小説論」というもので、先日にブックオフで
購入した「小説の快楽」は、この「千円札小説論」に基づいているとあります。
「30年小説を書いてきた私は、何年かまえから某私立大学文芸学部で、小説に
ついて講義している。この文芸学部には卒業制作という制度がある。つまり卒業
論文の代わりに小説をかいてもよい。しかし、果たして文学=小説は教えられる
か?これは永遠の課題であり謎である。このエッセイ集のもう一つのテーマは、
その課題と謎だといえる。」
思わず、文芸学部というのは小説家を育成するところなのかと思いますが、
後藤明生門下からはどのような人がでているのでしょう。日本では著名な作家が
小説を講じるというのは、あまりないことでありますが、USAではずいぶんと
あちこちの大学にそのようなコースがあって、日本からも招聘されて文学を
講じていたように思います。(ジョン・バースなんかも大学で教えていたものね。)
そうした先生たちは、たいていがよんでも、すんなりと頭にはいらないアバンギャルドな
小説に取り組んでいたりしたのです。
それとくらべると、後藤明生の理論も作品もずいぶんとわかりやすくて、これで
いいのかというものです。
「 なぜ小説を書くのか? それは小説を読んだからである。小説を読まずに小説を
書いた作家はいない。世界文学史上いまだかって存在しない。あらゆる作家は、
小説を読み、小説を書いた。あらゆる小説は小説を読むことによって書かれた。・・
千円札の表は夏目漱石である。しかし漱石がいかに大文豪であっても表だけでは
ニセ千円札である。表と裏があってはじめて本物の千円札である。小説も同じで
ある。書くことが表だとすれば、読むことは裏である。書くこと/読むことが、
表裏一体となってはじめて本物の千円札である。小説も同じである。
書くことが表だとすれば、読むことは裏である。書くこと/読むことが、表裏一体と
なってはじめて小説である。」
この後藤明生さんの作品をはじめて手にしたのは、「はさみうち」でありました。