林達夫とイタリア2

 小生は、林達夫さんに恩義を感じておりまして、心底からおかげさまでといわなくては
いけないのであります。これまでに、このブログで林達夫さんを話題にすることが多いのも、
小生がそれだけ義理堅い(?)ことのあかしであるのかもしれません。
 林達夫さんの著作は、なんとか書棚にならんでおりまして、手にしようとしましたら、
すぐにとることができるところにおいてあります。林達夫さんの隣には、蘆原英了さんの
新宿書房からの著作をならべ、そのまた隣には、田之倉稔さんの「ピエロの誕生」朝日
選書がならんでいました。これって、なかなかセンスがよろしいと、一人でほくそ笑んで
いました。
 昨日に林達夫さんの「イタリア紀行」の著作について記しましたところ、さっそくに
コメントなどをいただいたので、書架にある「林達夫著作集 別巻1 書簡」をとりだして
きて、関連する記述をチェックしたのでした。
なんと、そのものずばりであるではないですか。(この時期は、本を購入してもずいぶんと
読むことができていないのだなと、連日反省です。)
 林達夫さんの蘆原英了さんあての71年8月3日付けの絵はがきです。イタリア、ローマ
から発信しています。林さんは、7月7日に旅をスタートさせたのですが、その終わりを
告げる報告です。
「 約一ヶ月の旅をきょうで終わります。イタリア書房関係の三人が付き添ってくれて、
 パリ及びシャルトル・・トウール・・ブロア・・オルレアン・・アンヴァーズのロアル河
 沿いの巡行。ミラノ・・ローマの遍歴はみな田之倉稔氏(ピランデルロの研究家)が
 運転するフィアットで、極めて快適に行うことができて仕合わせでした。結局、ぼくの
 関心は、『自然に』政治(歴史を含めて)にあることがよくわかりました。但し二の次の
ゲイジュツでも可なり勉強しました。」

 林達夫さんが「思想」の編集者をしていた時に、寄せられた論文がレベルに達していない
ときは、厳しい口調の書簡で、そのことを著者に伝えたといわれています。そのせいか、
いかにも、書簡はたくさん残されていそうですが、人によってはまったく書簡を受け取って
いない人がいたりして、どういう基準で書簡をだしているのかわかりませんが、晩年になって
書簡については次のように書いていました。
 益田朋幸宛 78年12月24日

「 ずっと本を贈ってくれ、『中公文庫』の小著に、『解説』を書いてくれた五木寛之氏の
 最近作の女主人公にある心にふれるものがあり、やっと一筆はじめて手紙をだしたら
 すぐそのことが一寸まちがって『週刊朝日』の『深夜草紙』に記事にされ、そういうことが
これまで多かったので本の礼状は書かない無礼を敢えてしていたのでしたが、やはり手紙は
書かないに限るという思いをあらたにしました。」
 なるほど、そういうことがあったのでしたか。