ことしの収穫「先生とわたし」

 今年も残りが少なくなって、今年の収穫という企画も出そろったように
思います。小生もじぶんなりの今年の収穫というのをリストアップしなく
てはと考えるのですが、なかなか絞りきることができませんで、そうこう
しているうちに春になってしまうのが、いつもの例です。
 いまのところでいきますと、このブログでもとりあげたもののなかから
選ぶということになるのでしょう。
 そうしたことでいくと、今年にインパクトがあったのは、二つの「先生と
わたし」であります。

ひとつは、いうまでもなく、四方田犬彦「先生とわたし」で

先生とわたし

先生とわたし

もうひとつは大塚信一さんは「山口昌男の手紙」であります。

山口昌男の手紙 文化人類学者と編集者の四十年

山口昌男の手紙 文化人類学者と編集者の四十年

 このブログでとりあげて、おいしいところをつまみよみしているのですが、
いまあらためてこの山口昌男さんの手紙を読んでいますが、大塚信一さんは、
大学時代に山口さんの教えを受けて、山口さんの思想を軸にした企画で
岩波に新路線をうちたてて、のちに社長になるのですが、山口昌男さんの
スケールの大きな思想家ぶりと、ひどく俗物なところを深い信頼関係に裏打ち
された筆致で描いていて、共感を呼びます。
 今は、余裕がありませんので、「本の雑誌」11月号の坪内祐三さんの
読書日記にある、この本についてのコメントを紹介します。(日付は
8月25日、29日となっています。)
「 最後の二章で1990年代以降の山口さんへの強い失望が語られるが、
 その憎(失望)の強さが、逆に、山口さんへの愛(いまだに失っていない
 愛)の強さを感じさせる。これは一種の奇書だ。・・・
  山口昌男という人は、ものすごく小さな部分もありながら、本当に
 スケールの大きな人だ。」

 雑誌「中央公論」に連載されていた「本の神話学」を楽しみに読んだ
小生の世代は、山口昌男がどんどんとメジャーになっていくのをかっさいを
しながら注目をしていました。その節目節目には、岩波からの出版物があって、
そこに大塚さんがからんでいたのですが、この書簡集は、そうした山口さんの
舞台裏での活動を伝えるものです。70年代から90年代までの人類学から
記号論というフィールドでの活動と、90年代以降の日本回帰とも思える
活動。
 大塚さんは、東京外骨語大学 山口先生を批判しているようにも思え
ますので、そうした批判の矛先の一部は、坪内祐三さんにも向けられて
いるようにも思います。
 さて、坪内さんは、「山口先生とわたし」という文章をどのような
内容で書くことになるでしょうか。