「月の家族」島尾伸三

 20年ほど前に知り合った奄美の人は、尊敬をこめて「島尾先生」とよんで
いました。島尾敏雄さんは、鹿児島県職員として名瀬図書館に赴任して、そこで
暮らしていたのです。たしか、定年退職するまで名瀬にいて、退職後は鹿児島へと
移住したのではと記憶しています。太い眉毛の島尾さんは、いかにも鹿児島から
沖縄の人という感じですが、もちろん奄美との縁は、島尾さんが海軍の幹部候補
生として暮らした島での出会いによるもので、奥さんとなるミホさんとの築いた
生活は、息子である島尾伸三さんにいわせると「月の家族」(角川文庫)という
ことになるのでありました。
 どう考えても、「月の家族」というのは楽しそうにないことです。
 先週に訪れたまちのブックオフ島尾伸三「星の棲む島」(岩波書店)という本を
入手しました。98年にでたものですが、このようなものがあるのは、まったく
知りませんでした。この本は、105円の棚にささっていましたが、著者の「回想
短編集」とあります。
 父と子が、フランシスコ会の修道士が着る黒い修道服を着て、修道士になれたら
どんなに幸せかを話しあったとあるのですが、そこからのくだりです。

「『おとうさんは、ミホが死んだら、修道会に入るつもりだ。』
 これを聞いて、ああ、彼はこの家庭から逃げたがっているのだと、普段からの彼に
対する疑いを再確認したような気持になり、彼の神経が狂いを生じていないことに、
すこし安心するのです。・・・・
 『シンゾ、どうだ神学校へ行ってみないか。』
 言葉を重ねていくうちに、考えが一方向をめがけて走り出し、極端になりがちな
父です。若かったこともあって、彼には迂回しながら危険をされる思考回路がまだ
できていなかったのでしょう。ある種の理不尽を伴った精神的な苦労を知らずに
青年期を迎えた人特有の、油断と不用心さが彼にはあって、私はそれが父のわがままや
短絡した結論を生んでいるようで、嫌いでした。・・・・
 聖書に登場するモーゼやヨブという人物も父も、私には自分の正義や忠実を神の前で
証明するためには、自分の隣人や雇い人やこどもや妻の命さえも犠牲にする偽善者に
しか見えませんでした。それに彼らには苦難か安住かを選択できる余地があるのに比べ、
マーヤと私の両親への愛は、選択のない状態へと追い込まれ、否応なく不幸をおしつけ
られていたのです。」 

 子どもは親を選ぶことはできないのですが、世間的にはきわめて立派な両親を
もっているのですが、そのことが子どもたちの不幸につながると皮肉な現実であり
まして、この「月の家族」からの抜け出るのは容易ではなかったと推察されるので
ありました。