本日は夏至ですが

 本日も寒いことでありまして、この時間は暖房をいれようかと思っています。
なんということでありましょう。本日は夏至であるというのに、終日雨模様でありま
して、18時を過ぎた頃には薄暗くなっていました。まったく夏至を実感できぬこと
です。
 昨日に借りていた本を図書館に返却して、本日は改めて借りることとしました。
借りたものの一冊は、先日に書店で手にして購入するかどうか迷ったものであります。
この時は、持ち合わせがなくて(図書券はもっていたのですが)、購入することがで
きませんでした。そのときは図書カードを使おうかとも思ったのですが、これは別な
ものを予定していますのでね。
 ということで借りたのは、次のものです。

 多和田さんの前作「百年の散歩」は、いまだ半分も読めていないのですね。あれが
読めていれば、この作品は、すぐに買うことになったでありましょう。書店で立ち見
をした限りでは、今回の作品のほうが読みやすそうにも思えたのですが。
帯には、このようにありです。
 「誰もが移民になりえる時代に 言葉のきらめきを発見する越境譚」
 多和田さんからすれば、移民というのは、日常のことであるのですね。当方の環境
では移民は相当に特別なことでありまして、ましてや自分が移民になるなどとは考え
ることもできないのですが。現在、移民となっている人々も、以前はそう思っていた
のでありましょう。
 作品の冒頭のところで、主人公は次のようにいっています。
「最近の移民はほとんど流浪の民になっています。絶対受け入れないという国はなく
なりましたが、ずっと暮らせる国もなくなりました。わたしの経験した国は、たった
三つです。でも三つの言語を短期間で勉強して混乱しないように使うのは大変です。
脳のなかにはそれほど広い場所がありません。だから、自分でつくっちゃったんです。
スカンジナビアの人なら聞けばだいたい意味が理解できる人工語です。」
 隣の国とは、ほとんど言葉は通じ合わないという国に住んでいますと、国が違って
も聞けばだいたい意味が理解できるというのは、よくわからんことでして、当方が
思いうかぶ人工語は、発語を聞くとなんとなくわかりそうだが、意味がまったく通じ
ない例のハナモゲラ語くらいであります。