最南端の街 3

 先日にTVで見たパタゴニア最南端の街「ウスアイア」はずいぶんと開けた街のように
思えましたが、チャトウィンが訪れた1975年には、まだまだ今のように観光客が来る街
ではなかったようです。
 チャトウィンの「パタゴニア」では、次のように書かれています。
「見たところ子供のいないこの街の住人は、陰鬱な表情を浮かべ、じろりとよそ者をに
らんだ。男たちはカニ缶工場や、チリとのにらみ合いで忙しい海軍工廠で働いていた。
兵舎にいちばん近い建物は売春宿だった。まるでどくろのよう白いキャベツが畑で育っ
ている。私が通り過ぎると、顔に紅をつけた女がごみを捨てているところだった。女は
鮮やかなピンクのシャクヤクを刺繍した、黒い中国風のショールをまとっていた。
彼女は『ごきげんいかが』と言って頰笑んだ。私がウスアイアで見た唯一の、正直で明
るい笑顔だった。明らかに彼女は、その職業に似つかわしかった。」
 河出文庫パタゴニア」の解説は、池澤夏樹さんでありますが、この解説文はたまた
ま旅行の途中に立ち寄ったウスアイアで書くこととなったとあります。
 池澤さんの解説から引用です。
「本当に稀有な偶然から、今、ぼくは『パタゴニア』の中でもなかなか大事な位置を占
める南米の南端ウスアイアの町にいるからだ。南極半島の旅が終わり次のナパリノ島で
の旅が始まるまでの隙間で、ホテルにこもってこの原稿を書いている。決して意図した
わけではないのに、そういうことになってしまった。・・
 チャトウィンがここに来たのは1975年だが、それからの三十数年でここはすっかり観
光地となってしまった。その理由の一つは彼の著書にあったかもしれない。」
 ウスアイアが観光地となった、もうひとつは池澤さんの文章にもあるように、南極観
光の中継地であるからのようです。
 そういえば先日のTV番組でも、南極への団体観光客が映し出されていました。今年に
当方のところに届いた年賀状には、今年は南極観光へとでかけることになりましたと
いうものがありました。その方はウスアイア経由で南極へと渡ることになったのかな。
こんどあったら、聞いてみることにしよう。

パタゴニア (河出文庫)

パタゴニア (河出文庫)