さすがに年末

 さすがに今年も残りが二週間ほどになりますと、あれこれとやることがいっぱいで
あります。とりあえずクリスマスに向けたギフトつくりは、本日にほぼ終わりまして、
明日に荷物を発送となります。そのあとは年賀状と大掃除でありましょうか。時間は
一杯あるのですから、どうしてもっと早くからやっておかないでしょうね。
 本日も用足しのために外出をしたのですが、その時にコートのポケットにいれてい
たのは先日購入した次の本でした。

来福の家 (白水Uブックス)

来福の家 (白水Uブックス)

 この本のことは、先月の「本の雑誌」12月号で都甲幸治さんが紹介していて知りま
した。このような作者がいることも、作品があることも知らずでありました。
この新書の帯には、次のようにあります。
「台湾生まれ、日本育ちの主人公は、三つの母語の狭間で格闘する。」
 つい最近、USAの次期大統領が、台湾の総統と電話で話をしたとかいうことが取り
上げられ、それを知った中華人民共和国のトップが、一つの中国という原則に反する
と不快を表していました。人民共和国の成立したからそろそろ70年ですが、これが
できたことによって追われた国民党政権は、台湾で中華民国を存続させて、大陸の
民共和国と対峙していきます。
 日本もずっと台湾にある中華民国の政府を中国を代表する権力機構としていたので
ありますね。それがどんとひっくり返るのは田中角栄首相時代の1972年9月のことで
すから、そんなに昔のことではありません。
 この本の著者は1980年生まれ、3歳の時に日本に移住したとありますから、生まれ
た時は、すでに日本は中華民国と国交を絶っていたことになります。
 中華民国政府は、台湾をいわばのっとって、政権を樹立し、大陸と対峙するのに
台湾人を動員するという図式ですから、ねっからの台湾人には、とってもたまらん
話であります。
 当方は、ちょうど著者の親の世代にあたりますが、その子ども時代の教育に関して、
この本には次のように書かれています。
「1950年代の台湾で生まれ育った縁珠の両親は、小学校に上がると、母語である台湾語
の代わりに中国語を遣った。当時の政府が、公の場で中国語以外の言葉を話すのを禁じ
たためだった。学校でうっかり別の言葉を口にしてしまうと、罰として教師から鞭で尻
を思い切り叩かれ、『わたしは国語を話す努力を怠り益した』と書かれた札を首から
提げた状態で長く立たされる。」
 台湾は1945年までの50年にわたって日本の植民地となり、日本の敗戦により、それが
終わったと思ったら、今度は大陸からの国民党による支配が続くのですから、たまった
もんじゃありません。
 1980年に生まれた著者よりも、その親の世代(ということは当方の世代)に、歴史の
影響が強く残っているといえるのでしょう。