勝負事の世界

 当方は勝負事はまるでだめな人間であります。
 もともとぬるま湯につかっているのが好みでありまして、勝った負けたというのが
はっきりとするのはなじめずであります。どちらにしてもこちらは負け組のほうであり
まして、このうえ勝負事で負けることもなかろうであります。
 大崎善生さんの「赦す人 団鬼六伝」を見ていましたら、次のようなくだりが目に
つきました。
「人生はすべて勝負事という信念。高級住宅街を散歩していて、その中のひと際大き
な家を見かけると、信行は鬼六に懇々と諭す。あんな家はサラリーマンになっていく
ら真面目に働こうが買えるわけがない。あれを手に入れるには相場しかない。相場で
勝ち上がればあっという間や。どちらかというと勝負事があまり好きではなく興味も
なかた鬼六に、『勝負事を毛嫌いする奴は将来、大成しない。』と自信満々に説教す
る。競輪、競馬はもとより、囲碁、将棋、麻雀、花札、オイチョカブ、ポーカーか
ら、チンチロリンに到るまで、この人生はすべて勝負事と諭し、実際に手取り足取り
教え込んでいくのである。しかも中学生の鬼六が真面目に勉強していると『そんな
ことやっていても何にもならん』と怒鳴られる。」
 団鬼六さんの父親(信行)は、「真面目にコツコツやってどうする。」と息子に言い
続けたとあります。もともと父親からしてはちゃめちゃでありますからして、親子二代
似たものであります。
 よほど才能がないかぎり、「真面目にコツコツ」しか道はないのでありますが、ごく
ごくまれに勝負事においても、天賦の才がある人がいるのでありましょう。
とはいうものの、団鬼六さんは勝負事が好きであったようですが、博打に並外れた才能
があったわけではなかったようです。