みすずの本棚 2

 現在、グローバルスタンダードといえば、USAを支配している論理が世界を席巻す
るという感じを受けるのでありますが、大国USAには弱点が多々あることです。
 USAのある種、理想主義的な占領政策によって国の骨格をつくられた日本のほうが、
世界には受け入れられるようでありまして、つくづくUSAの流儀を世界標準とするの
は抵抗が多いと感じることです。
 昨日に引用をしましたが、「ほとんどの民主主義国家がヘイト・スピーチ規制の法
律を持つなかで、アメリカは日本と同じく、法的規制がない、世界でも数少ない先進
国である。」のだそうです。アメリカと一緒であれば、怖くないし、安心だと感じて
いるのかもしれませんが、違った世界観をもつ国家群からすれば、日本というのは、
不思議だなとなるのでしょう。
 「みすずの本棚」に掲載の師岡康子さんの文章から引用です。
「日本におけるマジョリティである大和民族日本国籍者は、子どもと外出する際、
いつ、自分がその属性ゆえに侮辱されたり、公けの場所に入るなと言われて恥をかか
されたりするかもしれないなどと考えることなく、『普通』に安心してでかける。
隣にすむ在日コリアンの家族が日常的にそのような不安にさらされて、そのような
『普通』の生活が保障されていないことを想像すらせずに。」
 外出したときに、ヘイト・スピーチをともなう差別デモにでくわして、不安に感じ
る人がいて、そういう言葉の暴力から護られる方策はないのかです。それはヘイト・
スピーチの規制となるわけですが、規制議論の土台におかれるのは、人間の尊厳を
傷つける行為の禁止だそうです。
「ヘイト・スピーチの危害」の著者は、「『各々の集団の各々の成員は、他人によ
る敵意、暴力、差別、あるいは排除に直面する必要はないという安心』を空気や水と
同様に、一つの公共財として保障されるべきだと説明する。誰もが等しく『尊厳』を
もち、暴力、排除、尊厳の否定からの保護に値すべきであり、マイノリティの成員で
あっても、社会の中で、周りの他の人たちとともに、普通に交流し、同じように取り
扱われるという社会的立場、地位が保証されるべきであり、そのような基本的な社会
的地位が『尊厳」の本質である。」といっているのだそうです。
 「人間の尊厳」というのが、問題となるとは、ルネサンス期に戻ったような話で
あります。