昨日買った本 4

 本日も「Switch」93年5月号から話題をいただきます。
 まずは丸谷才一さんのロングインタビューで眼についたところであります。
 そのまえに「さんま坂から見わたせば」のインタビューの見出し文を引用です。
「丸谷は明治末までに日本文学は詞華集中心に動いてきたことに着目。
そこから日本文学の共同体的性格、また底流に流れる呪術的なもの(例えば御霊信仰
を見い出していった。
 私たちは丸谷才一のこの著作(「日本文学史早わかり」)に誘発されて、明治以降の
憂鬱で深刻な私小説の流れと対立するものとして現代文学を捉え直したいと思った。
言うまでもなくその代表が丸谷才一の新作長編小説『女ざかり』である。
丸谷才一近代文学における私小説からは遠く離れた小説の流れを、自身の小説をテク
ストとしながら具体的に私たちに語っていった。
現代から戦後文学、そして大正、明治とゆっくりさかのぼっていくにつれ、近代文学
たちの彷徨が浮き彫りにされていった。
漱石、鷗外、荷風、潤一郎、淳。
それぞれが、あるいは新たな光を放ち、あるいは影を曳いて山々のように聳え連なって
いる日本をさんま坂から見わたせば、豊穣なる文学が視野に拡がった。」
 このインタビューは、「女ざかり」の刊行を機会に行われたものでありますので、
「言うまでもなくその代表が」というような記述になるのですが、「女ざかり」の評価
がここにあるとおりであるのかどうかは、疑問の残るところです。
 それで丸谷才一さんの発言で眼についたところです。
「どうも『笹まくら』が丸谷の小説のなかでは一番いいという人がかなりいて、ぼく
としてはまあ、それでもいい。一篇でも記憶に残ってもらえれば小説家としては嬉し
い。それで不満はないんだけれども、ただあの小説はあんまり悲しすぎるんですね。
ああいう悲しい小説をたくさん書く小説家になるのはつらいなあ、と書いてしばらく
思いましたね。」
 「一篇でも記憶に残ってもらえれば小説家としては嬉しい。」というのは、正直な
ところでありましょう。「笹まくら」への評価はうれしいものの、自分としてはもっ
とつくりものの世界で、作品を残したいということで、新しい長編小説に挑戦したの
でありますね。