文春文庫新刊 3

 丸谷才一さんの「腹を抱へる」に収録されているエッセイで古いのは1970年の「女性
対男性」にあるものです。すでに小説は刊行され、批評集も「梨のつぶて」をだして
いましたが、エッセイ集は、この「女性対男性」が最初でした。
 当方が丸谷才一さんのことを知ったのは、芥川賞を受けるようになったことによりま
すが、ちょうどその頃に丸谷さんが高校の教師をしていた頃に下宿していたところの
おばさんが新聞にとりあげられ、そのおばさんがうちに下宿していたひとが芥川賞
もらったとの発言が紹介されていました。あのおばさんは、どうして新聞にとりあげ
られていたのか、まったく覚えていないのですが、丸谷さんといえば、あの下宿の
おばさんのことを思いだします。
 そのあと、講談社文庫(?)についていた年譜を見て、丸谷さんが結婚を機に戸籍
上は、奥様の姓を継いでいるということを知りました。
 「1954年 根村絢子と結婚、根村姓を継ぐ。」 
 このことに、なにか意味があるのかですが、これは「腹を抱へる」の鹿島茂さんの
解説につながります。
「なるほど、家父長的な日本への強烈な嫌悪感はこの原体験にルーツをもっていたの
か!」とありました。これは「丸ヤギ左衛門のこと」につけられたコメントでありま
す。どのように丸谷さんが本家とか、家制度に嫌悪感を持っているかは、この文章を
見てもらうのが一番でしょう。
 これに続いて鹿島さんは、次のように記しています。
「これはあくまで、私の直感にすぎないが、どうもここには丸谷文学を解くカギがある
ように感じる。そして、同時に、丸谷エッセイにならって、次のような仮説を立てて
みたい誘惑に駆られるのだ。
 それは、日本には、家族人類学でいうところの直系家族的な文学と、核家族的な文学
に二分されるのではないかという仮説である。・・・
 もちろん、この私の二分法はすぐに例外が噴出してたちまち破綻するのであるが、
しかし、文学者丸谷才一に限っては、この核家族の次男坊という『宿命』によって
かなりのものが規定されていたのではないかという印象を拒むことはできないのであ
る。」
 「核家族の次男坊」というところに反応するのでありますね。