高校駅伝といえば

 昨日は高校駅伝がありまして、午前午後とTV中継でありました。京都を会場とする
スポーツの全国大会にどのようなものがあるのかわかりませんが、京都の街を駆け抜け
る駅伝大会は、すっかり歳末行事として定着をしているようです。
 当方が京都に住んでいた70年代初めまでは、12月の最終日曜日くらいに開催されて
いました。今とはコースの設定が違いまして、当方が住んでいた松ヶ崎、叡電修学院駅
近くの高野川に沿って国際会議場までいき、折り返していました。
学生の頃は、正月休みは帰省するのがたいへんでありましたので、その旅費でももらえ
るのであれば、それで本を購入するからといって、四畳半下宿で年越しをしたのですが、
その時に、高校駅伝を見物して地元のチームを応援したものです。当方の地元のチーム
はいつも40位くらいと低迷していました。
 そんなこともあって、いまも高校駅伝は楽しみにしています。最近は、外国からの
留学生が参加しているチームが上位にくることが多くて、これはちょっと興味をそがれ
ます。
 これまでTVで見たなかで一番エキサイティングであったのは、報徳学園西脇工業
という兵庫県のチームの争いでありました。ほとんど県大会を優勝したほうが、本番でも
優勝というような熾烈な県大会でありました。ある記念大会には、県代表と近畿地区
代表ということで、報徳、西脇工の二チームが本番大会にでてきて、この二チームによる
デッドヒートは競技場の中まで続き、ゴールテープを切るのもほぼ同じという歴史に残る
レースでありました。あれは40回大会1989年のことでした。
 高校駅伝というと思いだす文章のことを話題にするのでありました。
「年末の京都での全国高校駅伝競走というのがいつごろから始まったのか知らない。
しかし二、三年前から、その種のものが京都で開催され、コースがわが家の近くを走って
いることには気づいていた。一度見物してみようと思ったこともあるようだ。たしか
去年は『ヴァイキング』の例会と重なって見物できなかった。」
 これは1970年の駅伝大会のことであります。筆者は山田稔さんで「ヴォワ・アナー
ル』に収録の文章の一節です。