この一ヶ月ほどずいぶんといろいろなことがあったなと、土曜日の午後にNHKFMで
東京ジャズを聞きながら思っています。
身内に新しい命が誕生し、40年来近しくしていただいた仕事関係の先輩がお亡くな
りになりました。身近では生まれるよりも亡くなるというほうが多くなっていて、
そのうちに、こちらも姿を消していくのかと感じるようになっています。
購入したっきりで読んでいない本が、何千冊(?)もあるはずでありまして、これを
なんとかしなくては姿を消すわけにはいかないことです。
ということで、未読のままでほってあった「暗殺百美人」を読もうと思って手にして
いるのですが、一昨日に話題とした「飯島耕一 詩と散文5」のほうに眼がいって
しまいます。この本のほうにも「暗殺百美人」が収録されていました。
この「詩と散文 5」には、未刊詩集「カンシャク玉と雷鳴」というのが冒頭に
おかれているのですが、この未刊詩集は刊行されることなく、この「詩と散文5」の
中にだけ存在することになったようです。
この未刊詩集は、ほぼ1999年に発表された七つの詩をまとめたものでありまして、
詩人は、その時69歳でありました。
この未刊詩集の最後におかれた詩の一節を記してみます。
「 すでに この国の 大衆の
(というのは きみのことだ あなたのことだ )
思考停止は
かたまったと見ていい
(それにしても 戦後十年目の頃
二十代のきみたちが 上気した顔をして
集まって
シュルレアリスムの変革について語ったのは
一体 何だったのだろう)
ソビエトの崩壊にも、平然とした へーぜんとした
つねに正しき日本共産党も やれやれ
象徴天皇制をご容認なされた 」
これが発表されて14年、「この国の大衆の思考停止」は続いています。わたしのこと
であなたのことでありまする。