世間の人 5

「世間のひと」には、鬼海さんによる文章が挿入されているのですが、これだけを
読んでみようと思いますと、なかなか見つけることができません。
 鬼海さんといえば「ハッセル・ブラッド」であります。この愛機に触れた文章が
ありました。
「雨音を聴きながら、久しぶりにカメラの手入れをしている。雨に気分を慰められ
るのは、小さな村で水稲と桜桃をつくる農家に育ったせいだ。・・・・・
 このポートレートシリーズを四十年ほど続けているのは、昔の農家の季節と自然
に任せる仕方に馴染みがあるからにちがいない。
このカメラ「ハッセル・ブラッド」も使ってから三十数年が過ぎた。一台のカメラ
と標準レンズ一本で東京を撮ってきた。連作してきた『場所の肖像』としての町の
シリーズもこのカメラを使ってきた。それでも裸の眼が面白がらないとシャッターを
切らない性分なので撮ったフィルムの本数はそう多くない。」
 この写真集には、「高額なカメラを持つアマチュアカメラマン」の肖像がおさめ
られていますが、プロである鬼海さんよりもずっと高級なカメラを持っている人は
いるでしょうが、問題となるのは作品の出来映えであります。
 最近のカメラはとにかくシャッターを押せば、よい写真が撮れてしまいますが、
そうして撮影した一枚と、裸の眼が面白がる被写体を気合いをいれて写したものを
ならべて見た時に、はたして見分けがつくでしょうか。
「デジタル主流の時代だが、相変わらずフィルムと印画紙を使っている。『尖って
居る」つもりだが、情けないことに暗室に入るのがいつも億劫で鈍る。ところが
手仕事には魔力があるのかすぐに夢中にさせられる。『身体』を使っての時間の
かかる仕事は静かな昂揚を生む。」