師走の話題 3

 本日は「みすず」12月号表紙裏の「賛々語々」42 を目にすることができました。
今回のタイトルは「行く年や」というもので、富田木歩の俳句をとりあげています。
このように連日、小沢さんのものを目にできるとはうれしいことであります。
 そういえば、つぎのものにも小沢さんが寄稿しているのでした。

en-taxi 40号 2014年冬 (ODAIBA MOOK)

en-taxi 40号 2014年冬 (ODAIBA MOOK)

これの表紙には、特集「『風立ちぬ』の時代と戦争」とあって、半藤一利内藤誠
小沢信男という名前があります。
小沢さんは、11月9日茨木市での講演でも、映画「風立ちぬ」について言及していま
した。この時の講演の様子を伝える林哲夫さんのブログによりますと、小沢さんは、
次のように語っています。
「映画『風立ちぬ』の評判がよくないので見るのをやめようかなと思っていたが、
ひょんなことで観てみると『いい映画だったねえ、席、立つのが惜しいような気が
して…』。評判が悪いのはこのごろの人が戦争を知らないからだろう。
リアリズムとファンタジーの合成が成功している。」
 小沢信男さんが映画「風立ちぬ」について、文章を発表するというのが風の便り
で聞こえてきて、それはあまり手にすることのできない雑誌でありますので、その
雑誌とは別なものにも寄稿したのであるなと思っておりました。
 ところがところがです。この「en-taxi」にある坪内祐三さんの「何故この小特集を
作ったのか」を見て驚きました。この文章の書き出しは次のようになります。
「何故このような小特集が生まれたのか附記したい。
 そもそもこれは私の二十数年来の知人である小沢信男さんから来た手紙に始まる。」
このあとに、どのようなことが書かれているかは、実際に「en-taxi」を手にして確認
してみてくださいです。
 坪内さんは小沢さんのことを「二十数年来の知人」と記していますが、これは「東京
人」つながりであったのでしょうか。最近は「東京人」で小沢信男さんの名前を見かけ
ることがなくなっていますが、かってはけっこうな頻度で登場していましたですね。
 拙ブログのどこかで言及しているはずですが、TV番組「鉄腕DASH」という番組の企
画で原稿を届けるのに、ファックスと自転車ではどちらが早くに着くかというものが
ありました。その時に起点となっていたのは、飯田橋(?)にあった「東京人」の編集
部で、終点は谷中の小沢信男宅でありました。ファクスで数十枚の原稿を送るのと、
自転車で小沢宅へと届けるのはどちらが早いかというもので、自転車で配達したのは
TOKIOの国分君であったとありました。放送は1999年ということですから、この時期は
「東京人」とのつながりが強かったのですね。