新潮6月号からの話題の続きです。
四方田犬彦さんの「谷崎潤一郎」についての文章のプロローグにある次のくだりに
反応です。(まだ、ここまでしか読むことができていないのですが。)
「かってわたしの世代がそうであったように、彼女もまたブリジット・フォンテーヌが
シカゴの前衛ジャズメンと組んで発表したシャンソンに驚き、フランスという国の文化
に強い憧れを抱くようになったと語った。」
このようなところで「ブリジット・フォンテーヌ」の名前をみようとは思わなかった。
前衛ジャズというのは、なかなかUSAでは支持を得ることができなかった(というこ
とは、めしが食えなかった。)ということで、多くのミュージシャンがヨーロッパに
渡って活動をしたのでした。フランスのレーベルからは前衛ジャズのシリーズが売られ
ていました。ジャズミュージシャンにとっても花の都であったのですね。
シカゴ前衛ジャズメンというのは、この場合「アート・アンサンブル・オブ・シカゴ」
というグループですね。このグループは日本に初来日したのが74年とありましたが、
当方は、この時か、この次くらいに来日したときの公演を見ております。どこかに
チケットが残っているのですが、いますぐには確認できません。まだまだ前衛のばり
ばりでありまして、これはライブで見なくては楽しさは伝わらないと思ったものであり
ます。
どういうわけか、黒人のフリージャズにやさしかったフランスでありまして、それと
フランスの歌い手さんのコラボです。
たしか、この曲はずっとあとになってドラマ「阿修羅のように」かのテーマ曲に
つかわれたはずです。この向田ドラマの最初の時には「トルコ軍楽隊」かのラッパの
曲が使われていて、その印象があまりに強いために、なにもここで「ラジオのように」
を使わなくてもいいのにと思ったものです。