あ・じゃ・ぱん 3

 もしも日本が分断国家になったらであります。第二次大戦後の冷戦構造で分断と
なりますと東西ドイツと同じであります。
 矢作さんの「あ・じゃ・ぱん」はもしも分断されていたらということでほら話を
書くのでした。
「 アテンション・プリーズ。もともと大阪には官庁街など無かった。十六世紀の
終わりにほんのちょっとの間、支配者秀吉の居城が置かれたことがあるきりで、
この町は管理や支配とはほとんど無縁だった。だから1945年十月十日、しかたなし
にここに首都がおかれたとき、それを現実に切り盛りしたのは、ほとんどが大阪
市役所の職員だった。
 当初、通産省も郵政省も何もかも、大阪市役所の中におかれていた。マッカーサー
が市所管の自治業務を全部、区役所に譲り渡した結果、市役所はそのまま大日本国の
行政府になってしまった。
 敗戦の翌年四月、大阪市が正式になくなり、二十一の首府特別区が治めることに
なった。」
 なんともはやのアテンション・プリーズであります。
 現在の大阪市長さんは、まるで独立国家をつくろうとしている(そうでなければ、
日本を乗っ取ろうとしている)ような、勢いでありますが、まわりに一緒にうつって
いる面々を見ましたら、矢作さんが「あ・じゃ・ぱん」で書いている次のくだりと
シンクロであります。
「収まらなかったのは、大阪の市議会議員諸氏。なぜならそのとき、粗忽にもこう
考えていたようなのだ。
大阪市役所の出納係長が大蔵省主計局長になってもうたんや。ほたら、わてら、
国会議員まちがいなっしゃでえ!』
 新制度での国会議員選挙と大阪特別区会議員の選挙が公示されたとき、彼らが
大阪市議会にバリケードを築いて籠城したのもむべなるかな。大阪市議会は無条件
で解散廃止になったのだから。いやはや、これが世に言う大阪春の陣だ。」
 大まじめな「維新の人」たちは、矢作さんの「あ・じゃ・ぱん」なんて読んで
いないでしょうね。