あ・じゃ・ぱん 2

 矢作俊彦さんの小説「あ・じゃ・ぱん」については、詳細な年表などを作成して
いるかたがいて、これがおもしろそうでありました。( 今回、作品の検索をして
みて「あ・じゃ・ぱん」というのタイトルの最後の「ん」が「!+ん」と表記され
るものであることを、初めて知りました。いったいこれまで何を眼にしていたので
ありましょう。)
 そもそも映画「かぞくのくに」を見物して、「あ・じゃ・ぱん」をひっぱりだし
てきたような次第であります。この小説をゆっくり読み返す時間的な余裕はないの
ですが、そういう時にかぎって面白そうなのにはまるのでありますね。
日本航空の英文社名に定冠詞がついていることを、奇妙に思う方も多いだろう。
<THE JAPAN AIRLINES>と。これは変だと私も思う。
・・文法上の間違いを犯したのは彼らではない。
 責任の半分は、1945年9月24日、日本が東経139度線を境目に、真っ二つに分割
占領されることになった後、その西側に誕生した大阪の政府にある。
 もう半分は、当然、マッカーサー元帥率いる占領軍司令部だ。それも、道義的
責任というやつが。・・
 当時の大阪政府には、まともに英語を理解する者がひとりもいなかった、と。
 それまでのほぼ一世紀、日本全体の首都は東京だった。さらにその前の二世紀半
も、政治行政上の首都は東京だった。
 大戦末期、沖縄本島には米軍、北海道にはソ連軍が上陸侵攻してきたとき、日本
の中心はまだ東京にあった。」
 日本は、東経139度で真っ二つになったのであります。
「西日本政府は、大阪市役所の職員がゼロから始めたと言っても決して言い過ぎでは
ないのだ。
 たとえば、暫定的な新憲法を制定するついで、新しい国の名称を<大日本国>と
決めたとき、彼らはその<大>を、BIGと英訳するかGREATと英訳するかで、
真剣に悩んだと記録にある。彼らの英語力はそのようなものだったが。」
 この時に、マッカーサー司令部と交渉した外務省条約局長が林正之助とあるのが
笑わせます。
 それにしても、「西日本政府は、大阪市役所の職員がゼロから始めた」という
くだりが、なんとも本日にあった現実のニュースとシンクロして奇妙な感じであり
ます。