月がかわって 6

 教育大学の付属学校などではあるのかもしれませんが、小学校の先生が大学教授
となるなんてことは、そうそうあるものではありません。だれか思いあたる方は
いないだろうかと思って記憶をたぐっていますが、日本の教育制度のヒエラルヒー
では、なかなか実現が難しいか。
 昨日に引き続きで、福原義春さんの「私の複線人生」から小学校の担任であった
吉田小五郎先生についてのくだりです。
「ぼくたちは先生が担任した三回目のクラスにあたる。教育も研究も充実した頃だ。
専門の仕事もレオン・バジェスの『日本切支丹宗門史』全三巻の翻訳が岩波文庫
刊行されつつあり、子供のための東西交流の史話を次々と発表されていた。のちに
「東西ものがたり』にまとめられて慶應出版界から刊行された。
 先生はぼく達を子供達とは読んだが、実際は一人の紳士として接していた。
よく幸田成友先生の教えである”原典に還れ”を口にされた。子引き孫引きのような
資料を使わず、面倒でもオリジナルに当たれとの厳しい教えである。・・
ぼくが多様な価値を尊重するようになったのもここに出発点がある。」
 自分の出発点とまでいわれるのですから、吉田先生にとっても、幼稚舎にとっても
たいへんすばらしいことであったわけです。
ちなみに、この先生は「小学生への教育と専門の研究」に自分の時間のすべてを捧げ
た方であるようです。
「吉田小五郎先生は生涯独身を通した。煩わしいと自宅には電話も引かなかった。
だから知らない人たちから、奇人とか時には変人とも言われたが、誠実でやさしい
先生であった。
 人の上に立つのは嫌いですと言い続けたが、戦後の混乱期に他に信望の厚い人が
ないと推されて仕方なく舎長となった。」
 ほとんどイギリスの名門パブリックスクールの先生のようでもあります。