セ・パ さよならプロ野球9

「セ・パさよならプロ野球」は「新日本文学」に一年間連載されたのですが、描かれ
たのは、主人公 敏男さんの無職でヒモまがいの一年の生活と、ロッテを中心とする
パリーグ野球の一年であります。
 昨日はシーズンに入る前に、パリーグの監督が本拠地周辺の町をセールス行脚して
まわったとありましたが、それに続いての話題です。
「テレビのプロ野球ニュースに、西武との開幕シリーズを一勝一引き分けした南海の
穴吹監督が写り、これで明後日の大阪球場にお客さんが来てくれるやろ、と声を弾ま
せているのを敏男は見て、胸のなかが熱くなった。もし巨人の藤田や王や牧野がこれ
を見ていたらどう感じるかと敏男は推測し、江川や原にも感想を求めたくなった。
それに巨人ファンにも聞いてみたい気がする。
 穴吹の願いが叶って、大阪球場のロッテ戦に一万五千人の客が来た。ところが南海
の敗戦。敏男は南海についての記事を探した。せっかくお客さんが来てくれたのに、
と嘆いた穴吹の談話は、彼の出身である東都大学野球より小さな扱いだった。」
 83年当時のパ・リーグチームは、西武以外はどこも客席を埋めるのに苦労をして
いたのでありました。現在もプロ野球の各球団は観客をよぶためにあの手この手で
知恵を絞っていますが、83年当時とは隔世の感ありです。
「『日本の国は、巨人が勝っていた方がいいんですよ。いろんな職場で仕事が気分が
よくはかどる。それが世の中のあり方ですよ。あの後楽園の客がロッテの応援に現わ
れ、後楽園が川崎球場のように閑古鳥がなくのは、日本に革命がおきた時ですよ。
それにしてもロッテはどうしちゃたんですか。』
 シーズンすべりだしの、あの気力充実の試合ぶりはどこへ消えてしまったのだろう。」
 とこのように語るのは、敏男さんの隣の部屋に住む松尾さんです。
 83年頃には、春先、ロッテが首位にいるなんてことがありました。息子たちには
ロッテを応援しようと声をかけ、折り返しまでトップであれば小遣いをはずむぞと
いったのでありますが、早々にトップの座を明け渡したのであります。
 松尾さんは、上の発言に続けて、次のようにいっています。
「不況でね、ロッテの試合のようなんですよ。今や企業は。せめて野球ぐらいは、巨人
と西武でバンザイバンザイと騒いでいようと。ネアカとネクラ、ナウイとダサイ。
だんだん人間が人間をどっちかに区別するようになりましたな。セ・パもそうで
しょう。西武が、パの中のセになってるんですかな。」