小沢信男著作 77

 昨日に引き続き、小沢信男さんの「ちちははの記」からです。
「俗間信仰は、非科学的な迷信で、現世ご利益一点張りの卑俗さだ・・という説がある。
それはそうだろう。学校でもそう教わった。
 私も長じて中学生となるにおよんで、断然そう答えた。つまり、わが家のありようを、
極めて恥ずべきものに思いだした。なにしろインテリゲンチャにならなくちゃ。近代的
合理主義の修得。具体的には、下町風への嫌悪、山手風への憧憬。 
 かえりみれば、そのとき以来、我が生涯の混乱がはじまった、という気もする。おまけ
に太平洋戦争が勃発して、軍国主義の圧倒的天下となる。混乱の増幅。」
 中学校というのは、もちろん旧制ですから、だれでもいけたわけじゃないですね。
経済的に恵まれていたひとしかほとんど通うことができなかった。田舎には旧制中学が
町にひとつあるかどうかという時代です。商家のこどもでありましたら、商業学校に
いったりするのが一般的で、旧制中学にいって、そのあとどうするのかと、当時の親は
いったようです。
「そのころわが家は、世田谷の郊外に引越した。家業はやはり戦時統制でいけなくなり、
大きな会社に統合され、父は会社員になっていた。そうして一家は山手小市民階級へと
移動したので、わが家は戦争のおかげで近代化したわけだ。てきめんに拝み屋さんとの
つきあいも減った。母の心中の不満など一顧だにもせず、私は念願かなってシアワセ
だった。
 そうして敗戦。こんどこそ近代の到来だ。」
 このように書いてきて、「以上は、じつは前書きで」とあります。
 戦時中の宗教統制を受けて拝み屋さんたちは、つぎつぎと姿を消したのですが、
戦後は、信教の自由化のせいもあって、「新宗教各派は乱立し、しのぎをけずり、
神様大繁盛時勢だった」
 こうして、小沢さんは一度自分のなかで否定できたと思った「俗間信仰」に向き合う
ことになるわけです。