小沢信男著作 68

「いまむかし東京逍遥」を手にして、このなかからいくつかを話題にしようと思って
いるのですが、これがなかなか難しい。最初におかれた「佐多稲子の東京地図」と
最後におかれた「ちちははの記」を取り上げるのが、一番よろしいとは思うのです
が、「私の東京地図」はいまだに読めていないのですからね。
 本日は、つまみ読みした「わたしの佐藤紅緑」を話題にして、お茶を濁しましょう。
最近は、少年向けの小説なんてどんなものがあるのでしょう。小学生くらいの子が
近くにいないので、彼らがどのような本を読んでいるのか、まったくわかっており
ません。たぶん、小説ではなくコミックにより親しんでいるとは思うのですが、
そのコミックだって、昨年に東京へといった時に、神保町を歩いていたときに
「ワンピース」という人気コミックの関連で通りが飾られているのを見て、この
ような人気コミックがあるのかと、初めて知ったような次第です。
 はやりものというのは、時代の変化などで、まったく手にされなくなったりする
のですが、こうしたコミックもそうなのでしょうか。
佐藤紅緑は1874年青森県弘前に生まれた。・・大正期には家庭小説の代表作家と
して、十五年間に三十本ちかくの新聞連載小説を書いている。
 それらすべての作品が、今日殆ど読まれない。読みようもない。紅緑にかぎらず、
それが大方の作家の運命であって、作家量産時代の今日以降はいよいよそうなるに
決まっているが、そういう忘れられた作家だ。
 ところが昭和に入って、講談社に請われて少年少女小説を書きだす。『少年倶楽部
と『少女倶楽部』の両誌に毎年一本ずつの連載小説を書いて、計二十余本。うち
数篇の評判作にとって、彼は忘れられない作家だ。すくなくとお昭和ヒトケタのわれら
の読者層が生き残っている限りは。」
 佐藤紅緑の「ああ玉杯に花うけて」の連載がはじまったのが昭和二年だそうで、
この年に小沢信男さんは生まれたのでありました。