本の立ち話 6

 小沢信男さんの新刊「本の立ち話」を話題にしています。この本は小沢さんにとって
何冊目の著書であるのかなと思いつつ、スクラップブックを手にしましたら、95年9月に
作成した「小沢信男著作目録」というのが出てきました。これには24冊、「あの人と歩
く東京」(93年5月刊)までが掲載されていました。この目録を作成してから15年もた
ちます。
 95年9月17日に、当方の住む町に小沢信男さんにお越しいただき、文学講演会をして
いただきました。その時の配付資料として「著作目録」を作成したものですが、この時
には、「小沢信男文学講演会によせて」という紹介文を作っておりました。(ほとんど、
この文章のことは忘れていましたが、えいやっと、ここにそのままコピーすることに
します。)
                *
      小沢信男文学講演会によせて
「 明治以降の日本において、小説家として成功するための条件の一つに、地方出身であ
ることというのがあるような気がする。小説家として世に認められるということは、文人
としての立身出世に他ならず、このためには東京生まれの東京育ちというのはマイナスに
しか働かない。東京人として作家を志したからには、いやでも一度は東京を離れることが
必要であるのではないか。(漱石のように)
 明治から百年も経過した現代の小説家にも、このような地方出身者の後ろ姿を見いだし
てしまう。小説家というよりも大説家といったほうがふさわしい大江健三郎丸谷才一
がんばりに、追いつき追い越せといった時代の風潮を感じてしまう。こうした偉大な小説
家(大説家?)というのも時代が必要としているのでしょうが、それだけでは文学は貧し
いものになってしまうような気がする。
 小沢信男が敬愛する函館出身の作家・詩人の長谷川四郎は、その著書のなかでこう書い
ている。
 『私は売れない作家の見本のようなものである。考えてみればこれも当然だ。生活必需
 品を作っているわけでないからだ。なくてもすますことの出来るものばかりである。
 いまはやりの要素はまったくないといっていい。・・・・ある友人がいみじくも批評し
 たところによれば、私は『反時代的人間』なのである。わが存在証明はそこにあるの
 だ。初めから売れないこと、金が入らないことは覚悟しているし、またそうあるべき
 ものなのだ。』
 小沢信男は、長谷川四郎スクールの塾頭である。そして現在の小沢の生き方は、
なんと、この長谷川四郎の生き方に似ていることか。
 全国に少数ではあるが熱心なファンをもつ、ちょっと時代ばなれした作家 小沢信男
は、時代との距離の取り方が独特である。時代をはるかに先取りして、時代がついてきた
らそんなことがあったっけと忘れたふりをする。そのあり方は、シャイな都会人に特有の
ものである。すくなくとも小沢信男は、地方からでてきて成功し、東京の山の手に住宅を
かまえるという文学者とは、雰囲気をことにしている。彼は東京台地の端っこからこぼれ
落ちそうになりながら、上昇志向の強い文学者を冷めた眼で見ている観察者である。」