「図書」2月号より 6

 坪内稔典さんが「図書」に連載している「柿への旅」には、坪内さんが「ギクッと
した」理由が書かれています。
 「柿への旅」でありますので、柿にちなんだ話題が展開されるのですが、広島県
北部や福島県石城地方には、「柿の木問答」というのがあったのだそうです。
 坪内さんの「図書」2月号にに寄せた文章には、以下のようにあります。
「 柿の木問答とは結婚初夜の新郎と新婦の問答であり、この問答の後で二人は夫婦と
して結ばれた。私はこの問答のことを今野圓輔の本『季節のまつり』(昭和51年)で
最初に知った。」
「柿の木問答」というのが、日本の習俗としてあったことを知りませんでした。
 坪内さんは、今野さんの「季節のまつり」から、次のように引用します。
「 どういう理由があったのかまだはっきりしないのだが、日本の結婚式には『柿の木
問答』とよばれる古風が残っている。新藤久人氏や高木誠一氏らの報告によると、・・
新郎新婦が床入りするときの作法として、つぎのような問答があったという。
『あなたの家には、柿の木がありますか』
『はい、あります』
『私が登って食ってもよいか』
『はい、どうぞ食べてください』
 こういう会話のあとでないと、夫婦の契りをかわすことができなかったというのには、
何かよほど重要な意味が隠されていたにちがいない。 
 ここで思い出されるのは、有名な加賀の千代女の作だと伝えられている。
 渋かろか知らねど柿の初ちぎり
の一句である。千代女の結婚については、疑問もだされてはいるが、ほんとうに結婚した
ことがあったとしたら、ただ風流だけで詠じた句ではなかったのかもしれない。」 
 坪内さんは、「柿の木問答」については、永野忠一の「柿の信仰と伝承」にもあるのだ
そうです。永野さんは、「柿の木問答」は「柿の木の豊穣性にあやかろうとしたもの、と
いう坪井洋文の説を紹介している」とのことです。
 柿の木問答は、地域によっては昭和の初めまで残っていたとあります。この「図書」の
文章でも、子規の随筆「くだもの」に描かれた「奈良の柿」について言及しています。
「柿は私たちの意識の古層に根をおろしている気がする。」と坪内さんは記しています。
当方の育った地方は、柿の木が育たないところなものですから、当方の「意識の古層」
に柿は存在しません。これは残念でありますが、それだけに修学旅行などで柿の木が
路地のあって、柿が実っているのを初めて見たときには、それまでいろいろと本などで
読んでいたことが、目の前にあって、感動したことを覚えております。