「図書」2月号より 5

 坪内稔典さんが「図書」に連載している「柿への旅」と岩波から刊行した「正岡子規
は当然のことながら照応しています。当方は、岩波新書正岡子規」を柿をキーワード
にして斜め読みをしています。
 まず坪内さんの岩波新書正岡子規」からの引用です。
「 明治三十年の子規の句に『我死にし後は』と前書きを付けた
  柿喰ヒの俳句好みしと伝ふべし
がある。あいつは柿喰いで俳句好きだったと後世に伝えてくれ、という意味だが、
漱石は後年、小説『三四郎』の冒頭で作中人物の話題に子規を出し、子規は大の柿好き
で、一度に十六個食べても平気だった、と書いている。これは漱石流に話をおもしろく
しており、実際に子規が十六個食べた記録はないが、先の句に応えた友情の発露だった
と思われる。」
 漱石と子規の友情の発露でありますか。子規の柿好きについては、子規自らが文章や
句のなかでいっていることでありますが、このように友人である漱石が作品に取り込む
ことによって強く印象付けられることになっています。
 坪内稔典さんが、熱心に柿について調べているのは、正岡子規への尊敬の発露であり
ますね。
 新書「正岡子規」からの先に続くくだりの引用を続けます。
「 随筆『くだもの』には東大寺のそばの旅館に泊まった子規が、宿のお手伝いに柿を
むいてもらう場面がある。
 『女は年は十六七位で、色は雪の如く白くて、目鼻立ちまで申分ない様に出来てをる。
  生れは何処かと聞くと、月が瀬の者だといふので余は梅の精霊でもあるまいかと
  思ふた。やがて柿はむけた。余は其れを食ふてゐると彼は更に他の柿をむいでゐる。
  柿も旨い、場所もいい。余はうっとりとしてゐるとポーンという釣鐘の音が一つ
  聞こえた。彼女は、オヤ初夜が鳴るといふて尚柿をむきつづけてゐる。』
  月が瀬は奈良県の梅の名所。初夜は午後八時ごろの寺院のお勤めを指す。
 子規はこの後に『余には此の初夜といふのが非常に珍しく面白かったのである』と書い
ている。もしかしたら、梅の精霊のような美人を前にしてうっとりといしたのだから、
ショヤの語に新婚初夜の意味を感じてギクッとしたのだろうか。」 
 坪内さんは、「ギクッと」カタカナ表記していますが、引用された子規の文章を
詠んでも、当方の感覚では「ギクッと」はこないことです。この新書では、これ以上に
話題は続かないですが、これの背景への言及が「図書」の「柿への旅」にありました。