星めがね 2

「星のあひびき」を手にしていたら、「わたしと小説」という文章に眼がいきました。
 書き出しは次のようになります。
「 近代日本文学が小説中心であることはよく言はれる。代表的な文学者を一人あげると
すれば夏目漱石といふことにならう。三人あげるとすれば、漱石に加ふるに谷崎潤一郎
大岡昇平をもってすることになるのではないか。三人とも小説家だ。」
 「わたしと小説」という文章は、中国の上海文化出版社から刊行される「樹影譚 丸谷
才一小説集」の序として書かれたものだそうですから、この書き出しから自分の作品世界
にどうつなげるかが、丸谷才一さんの芸であります。
「 わたしが小説家にならうと志したとき、長編小説を仕事の本筋にしたのは当然である。
 わたしは漱石のあとをつぐ、西欧的な長編小説作家になりたいと願った。・・・
  わたしの長編小説は、・・・五作にすぎない。しかしこの五作はいづれも、在来の
 近代日本文学にはない色調と構造を備へてゐるはずだ。それは近代日本の長編小説が
 とかく陥りがちな、途方もなく長い短編小説といった趣のものではなく、出来のよし
 あしはともかく長編小説に仕上がってゐる。」
 私の長編小説五作といってますが、これは若書きの「エホバの顔を避けて」を除きだ
そうです。
 「途方もなく長い短編小説」というのがうまい表現であります。「出来のよしあしは
ともかく長編小説」というのがご自身の評価です。
 このエッセイのなかには、この小説集におさめられている中・短編へも言及されてい
ます。(ちなみに収録の作品は、「樹影譚」「中年」「だらだら坂」「初旅」「鈍感な
青年」「夢を買ひます」「横しぐれ」「年の残り」だそうですが、自選でしょうか。)
「樹影譚」については、「わたしの短編小説の代表となる資格をもってゐるはずだ」と
言い切っています。
「『横しぐれ』はまさしく中編小説と呼ぶにふさはしいものだが、・・短編小説への意欲
と憧れを底に秘めてゐる。」
  丸谷才一さんの小説は、「たった一人の反乱」以降は、ほぼリアルタイムで読んだ
記憶があります。長編小説は、これ以降のものは、すべて書き下ろしで、その都度話題と
なったのですが、繰り返し読むということがなくなっているのは、当方の時間的な余裕が
なくなったからでしょうか。