庄野潤三追悼2

 庄野潤三さんの晩年の作品を読んでいますと、なんとなく亡父の知人の生活報告を
聞いているような感じとなります。そういえば、あの家には当方と同じような息子が
いたことだが、彼は学校をでてホテルにつとめたのだよな、そうか彼は結婚して
子供は何歳になるのだというような具合です。そこに友達の友達のような感じで、
阪田寛夫さんの消息も聞こえてくるようなです。
 庄野潤三さんと同世代で、この作品を楽しんで読んでいる人はどのくらいいるのかと
思いますが、子供や孫の世代には、祖父母のことを理解するためには、とても勉強に
なるものだと思います。 

けい子ちゃんのゆかた

けい子ちゃんのゆかた

「 妻の喜寿のお祝いに足柄の長女から真綿入りのふとんの包みが届いた。これは
長女と長男と次男の三人、『子供一同より』の贈り物であった。そこで妻は三人に
お礼のお酒を大林酒店より送った。私が長年愛用している山形の酒の初孫と秋田の
高清水。
 読売ランド前の坂の上に住む次男からお礼のはがきが届く。
  ・・・
 次男はいいはがきをくれた。」
 そうか、お礼というのは家族であってもはがきでしなくてはいけないのかと思う
わけです。
 庄野潤三さんの楽しみの一つに宝塚歌劇団の舞台鑑賞がありますが、これには
阪田寛夫さんといくことが多かったのです。(なんといっても阪田寛夫さんの娘さんは
宝塚のトップスター 大浦みずきさんであったのですからね。阪田さんには宝塚に
ついての著作もあったりします。)
「 終演後、劇場の前で阪田と蓉子さん(阪田のいとこ)の二人と別れて、こちらは
宝塚の公演をみたあといつものコースのニュートーキョー二階の和食レストランの
さがみ』へ。ずっと体調を崩したきりの奥さんのお世話をしていて、こんなときも
帰宅を急ぐ阪田を誘うわけにはゆかないのが残念だが、仕方がない。」

「けい子ちゃんのゆかた」の元版は05年4月刊行ですが、上記にある宝塚観劇は、
その前年の十月くらいのことで、この時から半年たった時には、長年の文学同志
阪田寛夫(庄野さんより4歳下)が、先になくなるのでありました。