蒙古民族統一運動3

 長谷川四郎さんは、「シベリア再発見」(三省堂新書)のなかで、「蒙古民族統一
運動というのはとっくに影をひそめたが」と書いています。長谷川四郎さんがいう
ところの統一運動というのは、どのようなものであろうと思っていましたら、8月2日
朝日新聞読書欄に、次の本の紹介をみつけました。同じ読書欄に「柄谷行人」さんの
ノモンハン戦争」についての評があったのですが、この本についても、同じように
モンゴルについての言及されているのであります。(このようにテーマがかぶるもの
が、同じときに二冊掲載というのは、珍しいことです。)
 このもう一冊というのは、「日本陸軍と内蒙工作」(森久男著 講談社選書メチエ
というものです。この著者がどのような方であるのかは、わかっておりません。
この本を評しているのは、「保阪正康」さんであります。
「 確かに対中一撃論は中国通を自称する軍人によって主導され、関東軍の参謀らに
よって体系化された。それに則って華北工作や無稽とのいえる内蒙工作が模索された。
著者は、内蒙の徳王などの動きに通じていて、それにからむ関東軍の参謀たちの思惑は
なんだったのかも愚弟的にといている。
 関東軍首脳部の蒙古独立への態度も変化するのだが、たとえば『五族協和』は単に
麗句ではなく、『蒙古独立を認めないことを含意』してのことと見る。」
 長谷川四郎さんの統一運動についての認識とは、「蒙古独立を認めない」ということ
に同義であるのかもしれません。すくなくとも、協和会の事務局に勤務していた長谷川
さんは、日本陸軍の方針を知る立場にあったのでしょう。

 昨日に引用した「草原の革命家たち」田中克彦さんの文章には、「ロシアと中国の
革命の過程で、非圧迫民族の解放は、かれらに国家的独立を与えるという結果をもって
完成はしなかった。」とありましたが、これの唯一の例外が「トゥバ人民共和国」で
あります。
 昨日に、続く文章は、次のようになります。
「 唯一の例外をなすかに見えたのは、モンゴルの西北隅にあったタンヌ・トゥバ人民
共和国であった。トゥバの初期の革命指導者は、モンゴルに合併することを望み、また
モンゴルの革命家たいtも、かれらが伝統的にモンゴルの地とみなしてきたウリヤン
ハイ(トゥバ)をモンゴルに返還するよう、ソビエト・ロシアに繰り返し要求した。
しかし、トゥバの独立はそのまま維持され、第二次大戦末期にあたる1944年には、
『申請によって』ソ連に吸収された。こうなると『独立』は結果として『併合』の
ための予備的手続きであるかのようにさえ見える。」
 こうしてみるとトゥバの独立すら、大国の思惑によるもののように思えます。