カズミさんつながり 5

 私小説作家には流行作家はなしでありまして、基本的には私小説=貧乏話と
いうのが作品を読むにあたっての認識ではないでしょうか。例外は、作家の親が
資産家であって、いつまでも親の仕送りが期待できるときでありまして、それ
以外の時は、けっこう悲惨であったようです。
 最近の庄野潤三さんの作品は、自らの身辺雑記のようなことを記して小説とする
のでありますが、これもやはり私小説に分類されるのでありましょうか。
先日来話題としています八木義徳さんは、作風は地味でありますし、家庭の財布を
預かっていた奥様は、家計のやりくりがたいへんであったと思われるのでありました。
当然のことながら、住まいは高級住宅街の一軒家なんてことにはならないのであり
ます。
 佐伯一麦さんが「八木義徳さんの思い出」という文章で次のように書いています。
「 編集者と共に訪ねた町田市の団地のご自宅(心正しい雰囲気の居間で、故郷の
室蘭から届いたばかりだという、それまで見たこともない大きさのホタテ貝を正子
夫人の手料理でご馳走していただいた。)」
 この団地というのは、文字通り普通の団地でありまして、普通であれば功なり
とげたら、ここをでて移り住むというように思われてるものです。八木さんに
ついての写真には、この団地の自宅から外出するときの様子を写したものもあり
ました。
 先日にNHKの番組を見ていましたら、日本でほとんど最初に計画された千葉の
団地に50年にもわたって生活をしている家庭がとりあげられていました。
その時のコメントでは、50年前に団地が出来たときに、ここに住む事は若い夫婦に
とってはあこがれであったとのことで、なんども抽選にのぞんでやっとあたった
ときには喝采をあげたとありました。
 八木義徳さんが、町田市の山崎団地に亡くなるまでお住まいであったのは、
この住宅への満足度がそれだけ大きかったからでありましょうか。