日の移ろい 3

 その昔の全集には、書簡に1巻があてられていましたが、最近は全集の作り方が
かわってきていますので書簡集などは編集されないようであります。その昔の全集が
研究者むけにできているとしたら、最近のはもうすこし手軽なものを好むファンを
対象にしているようであります。本格的な全集なんて、最近は売れないし価格も高く
なるので、ほとんど企画はされても日の目は見ないようです。
 全集と作品集、選集というのは、自ずと違ったものでありますが、最近は、とうてい
全集の名に値しないシリーズが全集で出版されたりしています。このような最低基準を
クリアしなくては全集をなのってはいけないというようなガイドラインはできないもの
でしょうか。
 個人全集であっても、日記が収録されているものはごくまれでありますでしょう。
日本のものでは、永井荷風全集に日乗がはいっていますが、あれは日記形式の文学で
ありまして、普通にいわれる日記とは違うものでしょう。
 島尾敏雄さんの「日の移ろい」は、日々のことを日記形式で書いたものでありますが、
もちろん発表する事を前提としたものです。島尾さんの家庭生活と仕事ぶりが伺えて、
なんとなく日々の暮らしを覗き見しているような具合です。
読んでいて辛くなるのは、奥さんのミホさんと対峙するところであり、興味を引くのは
図書館職員としての仕事ぶりであります。
昭和47年4月4日付の日録
「 図書選択の仕事もたのしい作業だ。きまった予算の中から図書館が買える冊数は
少ないが、新聞広告、週刊書評紙、出版案内のパンフレット、古書目録などの中から、
あれを捨てこれを取る作業が面白い。捨てるものの方がもちろん多いが、それがやはり
さわやかな体感を残してくれる。えらび定めた書物は、書名と著者と発行所と値段を
主題の分類別に記入する。たのしく、さわやかだけれど、それは同時に胸元があせりに
食いつかれている状態と紙一重なのだ。
このほかの仕事がなにもなければいいが、すぐいらいらした感情にすべりおちてしまう。
居てもたってもいられなくなって、書庫にはいると、ほこりが鎮静した気持ちになる。」
 島尾さんのこの状態と、ミホさんの状態がシンクロすると、家庭は息が詰まるような
ことになるのでしょう。