加藤周一 お別れの会

 加藤周一さんの「お別れの会」が昨日に東京でありましたが、その様子は、
本日の朝日新聞朝刊などで報道されていました。
 それよりも早く、この会に参列された「sheepsong55」さんが、自身のブログで
報告をしてくれました。(先ほど拝見をしましたら、さらにリンクが増えていて、
平凡社のページなども見る事ができました。)さすがに「sheepsong」を名乗る
だけのことはあります。
 拙ブログにもトラックバックをいただいているのですが、これは、この「お別れ
会」の会場にあった加藤周一さんとお孫さんの写真があったことについてであり
ました。
http://d.hatena.ne.jp/sheepsong55/20090221#c1235225304
 加藤周一さんに、奥さんがいたことは承知しておりますが(今回の喪主をつとめた
方ではなく)、お孫さんがいらしたとは、まったく思ってもおりませんでした。
加藤周一さんは、恋愛の対象となる女性についての文章は残しているでしょうが、
成人となってからの、自らの家庭については、ほとんど記していないのではないで
しょうか。
 丁寧にみましたら、どこかにそのようなにおいを嗅ぎ付けることはできたのかも
しれませんが、当方はまったくだめであります。事情をご存知の人には、「羊の歌」に
ヒントはあったのになんていわれるのかもしれません。こちらが、その可能性はないと
思っているせいもあって、スルーしているかもしれません。
 92年に撮影した女のお孫さんと一緒にうつっている写真とありましたが、その時に
その娘さんはいくつくらいであったのでしょう。それから17年が経過していますが、
いまはおいくつくらいになるのでしょう。
 矢島さんと一緒になったのは何年くらいであったろうかとか、いろいろと手がかりを
求めて推理することもまた楽しであります。別に、戸籍をさぐって事実確認をする必要
もなしで、なにかのきっかけにあの写真に登場する「孫」さんというのがわかりました
ら、それでよろしで、もちろん分からなくてもいっこうにかまいません
 加藤周一さんよりも、ひと世代前のマルクス主義者たちは、外で発言する事と家庭
内部での行動にギャップが大きくてと、向坂逸郎とか中野重治などはいわれていますが、
加藤周一さんであれば、奥さんに対して暴君になることなく、家族に対して専制君主
して振る舞うことはなかったと思うのでありますが。家族から見た加藤周一像というのを
知る事ができれば、文字通りのリベラルであったかをはかることができるようにも
思います。