こどもは親を選べない 2

 有名人の親を持つと、こどもはたいへんというお話ですが、そうしたこどもから
すると、普通の家庭というのに、あこがれるのではないでしょうか。
 こうした話題でブログ綴っておりましたら、思いもかけず、本日の朝日新聞には
それに近い話がのっていました。筆者は、作家 池澤夏樹さんでした。もともとの
テーマは、「追想 加藤周一」というものです。 書き出しから、ずばりです。
「 私的な事情から述べる。
  加藤周一さんはぼくにとってまず父福永武彦の友人であり、文学上の同志で
 あった。戦時中から続いていた詩のグループの仲間で、ここにはぼくの母も
 入っていた。・・・
  1979年にその父が亡くなった時、ぼくは初めて加藤さんにお目にかかった。
 ぼくと父の仲は複雑で、互いに思いながら父の晩年には会うこともかなわなかった。
 また死後にはさまざまな問題が残された。それについて加藤さんはその都度正しい
 指針を示して下さった。」

 この文章を読みますと、なにかの賞を受けたときの池澤夏樹さんのあいさつを
思い出します。池澤さんが福永武彦の遺児であるということは、周知でありますが、
そのあいさつは、母が再婚した相手で、養父となった「池澤」の父に感謝すると
内容を含んでいたのです。賞を受けることができたのは、池澤の父のおかげと
いうのが、作家 池澤夏樹さんのスタンスでありまして、彼は、福永のもとで
育ったとしたら、作家になることはなかったのではないかと思います。
 マチネグループで、「1946・文学的考察」をあらわした3人、加藤周一
中村真一郎福永武彦の3人のうち、子供をもったのは、一番そのような感じの
しない福永だけであったようです。( ほかの方の年譜等をみても、そのような
記述はみあたらないためです。もちろん、一番こどもがいそうな感じを受けるのは
中村真一郎です。)
 本日の池澤さんの「追想」文の結語は、次のようになっています。
「 普遍であることと特異であることをはっきり分ける。そこから普遍の思想が
 生まれるのはないだろうが。ぼくにとって、師としての加藤周一はまだまだ続く。」

 なんとはなしに、親戚のおじさんを人生の師として仰いでいるように思えること
です。