小さなメディアの必要 3

 小生がこどもの頃は、学校にはかならず謄写版印刷をするためのセットがあり
ました。ろう引きの原紙、やすり、鉄筆、そしてガリ版印刷機などからなります。
学校で印刷物を作成するというと、ガリ版しか方法はなかったはずで、まずは
鉄筆をもって、やすりの上にのっけた原紙に、かりかりと字を刻んでいく必要が
ありました。字のうまい下手だけではなく、ガリ版技術も問われるものでありま
して、学級文集とかなにかの記念誌のように、あとに残るものとなりますと、
先生たちが片手間に行うにしては相当に大変であったようです。
 津野海太郎さんの「小さなメディアの必要」には、今ではすたれてしまった
ガリ版」についての文章がのっています。( たしか、「本とコンピュータ
にもガリ版の話が連載されていました。)
ガリ版の話」という文章は、81年に「新日本文学」に掲載されたものです。
この文章には、鎌田慧さんの「ビラまき三年カキ八年」という文章からの引用が
あります。これによると、鎌田慧さんは、「ガリ版印刷の熟練工で、一枚の原紙で
2、3千枚刷ることができた。一日1万枚刷るくらい軽かったもんさ」とあります。
このように書かれて
いるのですが、これのすごさが、今の人には伝わらないのが残念であります。この
ような技術を可能としているのは、「1950年代の後半にかよった水道橋野の
ガリ版学校」での教えの成果であるようです。
 ガリ版印刷というのは、もとは発明王エジソンが原理をつくったようですが、
日本で(そして森の印刷所で)ひろがったのは、日本の堀井さんという方が、
現在の仕組みをつくりあげたことによります。
「 謄写版をロウびき原紙をつかった孔版印刷の一種と定義すれば、その発明者は
たしかにエジソンなのである。だが、それを電気やタイプライターのかわりに鉄筆と
やすりによって版をつくる方法と考えれば、堀井新次郎こそがその発明者だったと
いうことになる。厳密なことはいえないが、どうやら手書きのガリ版印刷は近代
日本の土くさい発明品のひとつだったようだ。・・・
 活版印刷にも大量の活字を必要とするこの国で、印刷の技術を民衆の手元にひき
よせることに成功した。すなわちガリ版はまぎれもない『ファーストハンドの技術』
だった。」
 ガリ版は印刷は、1920年代に爆発的に普及することになるのですが、この
普及と並行したのは「生活つづりかた運動」の全国展開です。