長谷川四郎とデルスー時代

 映画監督の黒澤明さんが、最初に手にした「デルス・ウザーラ」の翻訳は誰の手に
よるものであったのかというのが、昨日にわいた疑問でありました。現在、流通している
デルス・ウザーラ」というのは、長谷川四郎さんによるものですが、長谷川四郎さんが
翻訳に取り組んだのは、年譜によると1941年のことでありまして、この翻訳にかかっ
ていた時のことは、「デルスー時代」という作品になっています。黒澤明さんが手にした
満鉄調査部報」というのは、39年のものですから、これは四郎訳のはずがないこと
です。
「デルスー時代」という作品について、全集の解説で福島紀幸さんは、次のように書い
ています。
「『デルスー時代』これはもう、れっきとした自伝的小説である。扱われているのは、
著者が満鉄に入社して大連へ渡った1937年からソヴエト軍の参戦による捕われる
1945年までの9年間である。
 大連、北京の四年半のなかでも、質量ともにもっとも充実しているのは、夏家河子
での半年間である。
 北京から大連へ舞い戻った著者は、大連から汽車で一時間ほどの海岸の町 夏家河子
に家を借りて住む。そして半年かかって、アルセーニエフの『デルス・ウザーラ』を
訳しあげてしまうのである。 すなわち『デルスー時代』である。」 

 もともと「満鉄調査部」に属しているのでありますから、普通の会社員というのとは
違うのですが、ご子息である長谷川元吉さんの著作によりますと、この「デルスー時代」
こそが満鉄の特殊任務につくためのテスト期間であり、そのための具体的な材料が
デルス・ウザーラ』の翻訳作業であるということになります。
これは、次の本にあるものです。

父・長谷川四郎の謎

父・長谷川四郎の謎

「この本を『デルス・ウザーラ』を親父に紹介したのは、大連図書館に勤めていた、もと
帝政ロシア時代の外交官令嬢で、そのときはトラック運転手を夫にもつご婦人だった。
 これは、シベリア辺境の地に点在する、少数民族を知る資料としての翻訳のようにも
とれるし、極秘に作られた新京会のことを思うと、ある資格を取得するためのテストの
ような翻訳にも思えてしまう。
 満鉄調査部第三調査室北方班という、関東軍の下請機関に配置換えになった4月から
デルス・ウザーラ』の翻訳を始め、9月、およそ五ヶ月かけたその翻訳の仕事が終わった
途端、親父は透明人間になったかのように、夏家河子からフッと消えたかのようにどこへ
ともなく行ってしまったような印象を受ける。」
 息子さんは、この時に姿を消したように見える背後に、甘粕正彦の存在を指摘するので
すが、これは本当のところどうなのでしょう。
 それよりも、「デルス・ウザーラ」の翻訳についてでありますが、引き続き長谷川元吉
さんのものからです。
満映に招待された42年の9月、翻訳の終わっている『デルス・ウザーラ』の出版が、
伯父 しゅんとの共訳という形でなされている。戦後、この本が再び出版されることに
なったとき、親父と伯父の間で共訳の件で物議をかもしていたことを思い出す。結果を
みると、そのときの力関係が作用していたようだ。」

 ちょうど41年に四郎さんのお兄さんである長谷川しゅんは文芸春秋社からバイコフの
「偉大なる王」の翻訳をだしていますので、その時点では、おにいさんのほうが圧倒的に
大きな存在でありました。
この最初の翻訳の時に共訳としたのは、そうしたことへの配慮でありましょう。
それじゃ、調査部報に掲載された最初の翻訳には長谷川しゅんさんは関係をもっていた
のでありましょうか。