加藤一雄教 2

 昨日に「加藤一雄教」とかきましたら、お二人の方からコメントをいただきまして、
さすがに「加藤一雄」さんは教祖さんといわれるだけのことはあると感じました。
加藤一雄教の信者さんは、皆さん大人で熱くならないのが特徴でありましょうか。
宗教といってもカルト集団のようなものもありますので、カリスマのような方の
ことを取り上げましたら、炎上するなんてことも聞いたことがありました。
 miti-tati 様は、前に書き込みをいただいた時に、宇佐見英治さんのもので、
本になったものは、ほとんど眼にとおしていると記していただきました。
今回の書き込みには、次のようにありました。

加藤一雄をマスコミではじめて取り上げたのはPR誌「みすず」の年間読書
 アンケートで杉本秀太郎さんか宇佐美英治さんかどちらかが
「京都画壇周辺」をベタほめしていたのが最初だと思いますよ。違いますか?」

 これを拝見してから、小生のところに保存してある「みすず」読書アンケートを
確認してみました。みすずの読書アンケートは、とにかくその年に読んだものから
アンケートで、その年に刊行されたものに限らないので、どこでとりあげられて
いるのかがはっきりしませんが、まずは、「京都画壇周辺」がでた1984年あたり
から探索を開始しました。
この時代には、宇佐見英治さんは回答を寄せていますが、杉本秀太郎さんはまだ
回答を寄せていませんので、まずは、宇佐見さんであろうとあたりをつけて
やってみました。すぐにみつかりました。86年1月号の「読書アンケート」で
ありました。もちろん、宇佐見英治さん。これは宇佐見さんの単行本には、
未収録の可能性もありますので、このときのを全文を引用いたします。

「 1 加藤一雄『無名の南画家』(美術出版社 1947年刊 )
 或る友人から、今では入手しがたいこの小説家の写本を送られた。忽ち耽読、
 久々に小説の醍醐味を堪能した。加藤一雄氏(1905〜1980)は京大
 美学科を卒業後、生涯京都を離れず、独自の美術随想を書き続けた逸人で、
 行文は飄逸、いわゆる今様美術批評の俗臭がない。昨年用美社から同氏の随想を
 集大成した『京都画壇集成』が刊行されたが、これは七九三頁の大著である。
 そのうちの一章『京都の自然と芸術』の中にたまたま本年十一月他界された美術
 史家 森暢氏との戦時中の交遊をを叙した佳篇がある。長年森先生から教わって
 きた私には個人的な追慕もあり殊におもしろかった。著書には、七〇才をすぎて
 公刊された小説『蘆刈』があるが、いまはこの小説も入手しがたくなっている。」

 宇佐見英治さんは、全部で五冊あげているのですが、筆頭におかれたこの文章は
ほか四冊の全部の行数よりも多くて、これは別格という感じをうけます。
宇佐見さんの先生にあたる森暢氏とのつながりで承知はしていたが、加藤一雄さんの
ものを読んだのは、このときが初めてであるようにも見えます。
「みすず」読書アンケートを、もうすこし見てみましたら、もうすこしでてきそうで
ありますが、これはまたの機会とします。

はじめて書き込みをいただいた f 様からは次の書き込みでした。
加藤一雄富士正晴の書評を集めた本で見つけたんだったと思います。富士正晴
 絶賛で気になっていた「無名の南画家」を札幌の五番館の古書展の特価本コーナーで
 見つけたときは小躍りしました。山積みされた「無名の南画家」を5冊くらい買ったで
 しょうか。知り合いの古書店主たちにもすすめました。読む前から「加藤一雄教」の
 信者ですね(笑)」

 富士正晴さんの加藤一雄さんの読書逸話は、拙ブログでは山本善行さんの著書「関西
赤貧古本道」から引用して記したことがありました。fさんは「富士正晴の書評集」と
ありましたので、これは「書中の天地」のことであろうととりだしてみたのですが、
これにある人名索引には「加藤一雄」さんの文字はありません。
 一昨年かの京都「三月書房」のブログには、用美社からの案内で「加藤一雄」さんの
新刊がでるとありまして、この本の広告には「富士正晴」さんの文章がのっていました
ので、富士正晴さんの著作のどこかを探せば、きっとあるのですね。( それにしても
札幌五番館というのはなつかしい。もちろん西武と名乗る前の話ですね。)
 用美社は、数年前から「加藤一雄」さんの本をだすと準備しているようですが、そろ
そろ機は熟しているのではないでしょうか。