「主のない家」

 本日に帰宅してから、たまたまサム・フランシスの絵画を採用した装丁の本を
手にしましたら、いまから25年も前に購入して未読であった「冬の幻」飯島耕一 
文藝春秋社刊でありました。
 この本があることはわかっていたのですが、まったく読んでいなかったはずで、
なんともはやですが、なかをぱらぱらと見ていて、次のようなところに目が点に
なりました。目が点となったところを記す前に、この作品集の後半は、飯島耕一
詩人「瀧口修造」さんについて書いた物をまとめたものです。
瀧口修造さんは、日本のシュールレアリストの草分けのような存在であります。
「 Tさんは二年半前の6月25日にK病院に入院し、わずか六日後の、7月1日の
 午後3位40分に亡くなったのだった。発病の25日の朝、Tさんは両手で眼を
覆い、めまいがして起きられないことを奥さんに訴えた。救急車で入院、点滴を
続け、心臓発作が起きるとニトログリセリン錠を口に含み・・・」
 瀧口修造さんは、この入院からまもなくの亡くなるのですが、そうか、ちょうど
いま頃になくなったのか。
 
「収入というもののきわめて少ないTさんの書斎のテーブルに、それでも手品の
ように、紅茶やビスケットや、スコッチウィスキーや、寿司などがでてくるのに、
客たちは恐縮するしかなかった。Tさんの年収はある年には四十万円だったと
人々はささやきあった。」
 年収40万円というのは、ほとんど霞をたべていきているようなものであり
ます。

 瀧口修造さんが亡くなってからのことです。
石神井公園駅近くの久野収の家で、Tさんの奥さんがつぶやいた言葉もうかんで
きた。半年前から、Tさんの奥さんは、あるつてがあて、在外研究で留学中の
久野収の家を借りて住んでいた。・・・・・
 久野週の書斎には、Tさんの蔵書を段ボールの箱に詰めたのが山積みされており、
奥の間にはTさんが集めた数々のシュルレアリスム的オブジェが、これも
段ボール箱に積まれてうずたかく積まれていた。」

 久野収さんと瀧口さんをつながく伝というのは、なにでありましたでしょう。
だれかがつないでいるのかは、わからないのですが、時間をかけて調べて
みたら、どこかからてがかりがでてくるかもしれません。